第三章:絶望時代

どうして俺に教えるんだよ・・・

 

別れてから一か月くらいたったころ。

 

「Sさんが夜の世界で働き出したらしい」

と知り合いから聞きました。

 

私は「全ての職業に意味がある」なんて

綺麗ごとだとしか思っていません。

 

この世には何の価値も生み出さない

無駄な仕事がたくさんあるのも事実です。

 

ただ、誤解しないでほしいのですが、

少なくとも私はキャバクラやホストなどの

職業に何の偏見もありません。

 

サービスを提供する側と、

それに対価を支払う側の

利害がわかりやすいほど一致しています。

 

やりたくもない仕事をして

会社や上司や国に不平不満を言い、

その仕事を選んだ自分の責任を

他人に擦り付けるような死んだ目の人間より、

 

自分の夢や野望のために

「大金を稼ぐんだ」という人間の方が、

私は遥かに好感を持てます。

 

客の弱みに付け込んで

大金を稼いでいる?

 

果たしてそうでしょうか。

 

そういった論理で話をするなら

お金を払わなければ病気を治さない医者は

とんでもない悪党になってしまいます。

 

お金を稼ぐために仕事をしている点では、

キャバ嬢もホストも弁護士も

土木作業員も看護師も医者も

警察官もコンビニ店員も同じです。

 

むしろ私がアホだと思うのは、

キャバクラやホストクラブを

「そういう所」だと知っていながら、

ハマってしまい破滅する『客』のほうです。

 

ですので、彼女が水商売の世界に入ったことは、

驚いたものの「あぁそうなんだ・・・」と

受け入れることはできました。

 

しかし、それに続いた情報は

私の神経を逆なでるのには十分でした。

アイツにとって、俺は何だったんだ?

 

「Sちゃんは○○っていう店で働きだしたらしいよ。

それで××っていう男と付き合ってるって」

 

私はその××という男を知りませんでしたが、

聞けば聞くほど性格、女癖、素行の悪さなど

色々と評判の悪い男でした。

 

彼女自身が苦しんだ過去の経験は

そういうタイプの男が原因でしたから、

 

それまで彼女を守ってきた私にとっては

言うなれば敵のような男です。

 

その男と彼女が付き合ったことを知り、

私はそれまで抱えていた後悔や、

自分への情けなさに加え、

 

「俺が彼女のためにしてきた事は、

なんの意味があったんだろう?」

 

と怒りなのか、哀しみなのか、

もう色んな感情が一気に爆発しました。

 

今思えば彼女にも考えがありますし、

そうでなくとも彼女の人生に

私が口出しする権利はありません。

 

現に私も完璧な彼氏だったとは、

微塵も思っていません。

 

ただ私にはそこまで考える

余裕がありませんでした。

 

「俺が彼女を守ってきたのって

何の意味があったんだろうな。

 

もう考えるのもめんどくせえわ。」

 

「俺ってこんな顔だったっけ?」

と自分でもわかるくらい別人のように

目つきは冷め、私は自暴自棄になりました。

 

常に酒を飲んでいないと

感情に押しつぶされそうです。

 

睡眠導入剤を既定量の何倍も飲んでも、

夜は眠れなくなりました。

 

性格も荒み、人間関係も

上手くいきません。

 

仕事も辞めてしまい、

一気に生活は苦しくなるばかり。

 

金がなくなると今度は、身の回りの

あらゆるものを売っては酒に変えました。

 

過度の飲酒、過剰な喫煙、その他不摂生の数々(笑)

 

「幸せとか、もうどうでもいい。

 

ただただ、この辛い気持ちから

逃れられればいい。」

 

本当にかっこ悪いですよね(笑)

 

でもそんなこと関係ありませんでした。

 

私はこの時、自分の人生が

どうでも良くなっていたのです。

 

人生どうでもよくなった結果・・・

 

私の人生で最も暗い時期が訪れました。

 

自業自得で招いたこの結果、

ストレスにより体調は崩れたあげく、

 

以前から痛めていた腰は

脊髄の損傷の度合いを増し、

 

激痛を通り越して徐々に

感覚を失い始めた下半身。

 

私は歩くことさえままならなくなり、

排泄にも支障が出てきました。

 

そして緊急手術。

 

手術の3時間くらい前、執刀医から、

 

「もちろん最善を尽くしますが、

重症ですので手術が終わり目が覚めても

もう2度と歩けないかも知れません。

それは覚悟をお願いします。」

 

と言われました。

 

その分野では全国的に見ても

名医と言われる先生から

そう告げられた時、

私の母は泣いていました。

 

私は歩けなくなる恐怖とともに

母に対して申し訳なくなりました。

 

私が自身の弱さに流されるまま行動した結果、

女手一つで私を育ててくれた母に

大変辛い思いをさせている。

 

私はいたたまれなくなり、

 

「ま、こうなっちゃったけど、

手術終わるまでわかんないんだから

いい結果を期待しよう!

 

名医らしいし、上手くやってくれるよ」

 

と母に言いました。

 

しかし、私の顔はとても頼りなかったことでしょう。

 

私はそれまで

「どうにでもなれ」

と好き勝手に荒れていました。

 

しかし、それはただの強がりでした。

 

その結果招いたこの事態に、

 

「このままじゃ俺は本当に終わりだ」

 

と恐怖が一気に押し寄せてきました。

 

本当は人生がどうでもいいわけなくて、

幸せを諦めてなんかいなかったんだと、

今更のように気づきました。

 

しかし、時計の針は逆向きには回りません。

 

”自ら自分の人生を破滅に追いやっていた”

と気づいたところで、

 

これからの運命は、もはや

『神のみぞ知る』という所まで

私は落ちていたのです。

 

「このまま目が覚めたら、

一生車いすになるのか。

 

一人でどこにも行けなくなり、

家族にトイレや風呂を世話してもらうのか。

 

今まで好きだった趣味もできなければ、

もう普通の恋愛もできないだろう。

 

俺みたいな奴が車いすじゃ、

誰も愛してなんかくれないよな。

 

子供だって欲しかった。

 

会いたい人だっていたし、

やりたい事はまだまだあった。

 

幸せとかどうでもいいと思ったけど、

それウソだったな・・・

 

俺はこの先、幸せになれるのか?

もう無理なのかな・・・」

 

人生初の手術、下半身不随への恐怖。

 

希望と諦めを半々に抱えた、

不安な精神状態の私を乗せたストレッチャーを

看護師たちが手術室に向けて押していきます。

 

麻酔医の説明なんて聞く余裕はありませんでした。

 

本当にビビってました。

 

私は麻酔で意識が飛ぶ最後の瞬間まで、

心の中でこのように叫んでいました

 

「神様、本当にいるなら頼むから成功させてくれ!

歩けなくなるくらいなら、もう殺してくれ!」と。

 

はじまった麻酔導入の5カウント

 

手術台に載せられた私の視界には、

まるでUFOを真下から見上げているかのように

複数の照明が円を成していました。

 

そして、麻酔のカウントが始まります。

 

1.2.3....

 

数時間後、目を覚ました結果

私の足は動きませんでした。

 

「まさか、ウソでしょ?」

 

しかし、母は安堵の表情でこう答えます。

 

「成功したって!良かったね!」

 

今、考えれば全身麻酔が完全に抜けていなかったし

手術前の生活で著しく筋力が衰えていたのですから

すぐに足が動かないのは当然かもしれません。

 

しかし、現に手術が成功したとしても、

それで歩けるかどうかは別の問題でしたから、

私は不安で仕方ありませんでした。

 

医師からの説明によれば、術後から半年間、

残った麻痺や運動機能の低下、排泄能力、

その他の細かな後遺症がどれくらい

回復するかが問題とのことでした。

 

「もう普通の生活には戻れないかもしれない」

 

「いや!俺にはやりたいことも

まだまだあるんだ。諦めてたまるか」

 

そんな葛藤の中、数日後、行動の許可が出た私は、

哀れなまでに歩行台にしがみ付き

来る日も来る日もリハビリに必死でした。

 

しかし、毎日毎日、歩けない現実に

ボッコボコにブチのめされました。

 

ちょっと前まで無意識に出来ていたことが

全力を振り絞ってもできない現実。

 

腰から下に何かとてつもない重いものが

付いている感覚。

 

まるで地面から這い出たゾンビが

足にしがみついているかのように

足が動きませんでした。

 

おまけに排泄機能をやられた私は、

自力で排尿するための訓練も必要でした。

 

その訓練とは、通常の倍くらいの太さの管を

尿道に挿入して強制的に膀胱に生理食塩水を

注入しそれを筋力で押し出すというものです。

 

そのため、いつも腰にはその管と繋いだ

透明のバッグを携えていました。

 

普通の人なら、管を刺すだけでも

激痛に耐えれないと思いますが、

 

幸か不幸か私は

痛みや温度などの感覚を失っていたため

挿入時に何も感じませんでした。

 

とはいえ、思い出すだけでなんだか

胸の奥がゾワゾワします(笑)

 

お漏らしなお兄さんは好きですか?

 

男性は弱っている姿を絶対に

女性に見られたくないとよく言います。

 

しかし、当時の私は半々でした。

 

「今の俺の姿を見たら、Sさんはどう思うかな。

 

ざまぁ見ろって思うかな(笑)

 

Aさんだったらどうだろう。

 

心配してくれるかな。

 

考えても意味ないか。

 

もう会うことはないんだから。」

 

”会いたいけど、見られたくない”

 

別れたばかりのSさんならまだしも、

こんな状況でもAさんを思いだす事に

本当に自分で呆れました。

 

入院中、辛いことはたくさんありましたが、

そのなかでも特に辛かったのは、

若い女性が誰かのお見舞いに来たときです。

 

恐怖とか悔しさとか情けなさとか、

もう色んな感情が溢れてきて、

涙が止まらない事も多々ありました。

 

泌尿器科の医師からは、

 

「おそらく自力で子供を授かるのは、

難しいでしょう。

 

まぁ、医学も進歩していますから、

いざというときは人工授精もありますよ。」

 

と淡々と言われていました。

 

「キレイなおねえさんは好きですか?」

 

これは化粧品のCMで昔使われていた

有名なキャッチコピーです。

 

私がそう聞かれたら、

「ハイ!大好きです!」

と即答します。

 

何なら、

「出来れば足がムチムチしてたら最高です」

と注文まで付けるでしょう。

 

では、あなたが

「お漏らしなおにいさんでも大丈夫ですか」

と聞かれたら?

 

「はい」と答える人は1%の

変態くらいのものでしょう。

 

 

好きな人には幸せになってほしい。

 

当たり前のことをしてあげられない、

障害者の俺よりも、健常者の彼氏を

作った方が幸せになれる可能性は高いはず。

 

「もしこれから誰かを好きになっても

本当にその人の幸せを考えたら、

俺は最初から身を引くべきだ。」

 

私はそう考えるようになりました。

 

その方が相手も幸せだろうし、

何より私自身もこれ以上傷つかずに

済むのですから。

 

私は男としての最低限の自信を

失い始めていました。

 

断じて、認めんぞ!

 

それでも、

 

「こんな現状認めたくない!復活したい!」

 

簡単に希望は捨てられず、

今の状況を否定するために、

無様な姿を晒してでも私は

リハビリするしかありませんでした。

 

幸いなことにその努力が功を奏したのか、

術後一か月半ほどたつころには、

 

たった数メートルではありますが、徐々に

杖をついてでもゆっくり歩けるようになり、

 

普通の人と同じように排泄機能も回復し、

『超ぶっとい管』ともおさらばできました。

 

そして、

 

「術後半年が回復の期待が出来る期間」

 

という医師の言葉に望みをかけ、

手術から約2か月後に退院を迎えました。

 

しかし、依然として後遺症は

数多く残り不自由なままでした。

 

「第四章:全餅(ぜんべい)が泣いた」はこちら