そろそろ地獄から這い上がる話
手術から半年が経とうとしていたころ、
徐々に近づく後遺症回復のタイムリミットに
私はとても焦っていました。
その時の私はというと、数多くマヒも残ったまま、
杖をついて数メートル歩いては休憩の繰り返しで、
皮膚の裏側から焼かれるような激痛に、
時折襲われていました。
しかし、人間とは不思議なものです。
「こんな状況うんざりだ!」
と思っていた状況でさえ、
毎日続くと知らぬ間に慣れてしまいます。
そのうち「俺の人生はこんなものだ」と
その「うんざりする状況」が当たり前になります。
当時はいつも私の心の中で
2つの声が飛び交っていました。
「人生はこんなもんだ。高望みするな」
「違う!俺はこのままでは終わらない!」
どんなに考えても、この2つの声が
堂々巡りするだけです。
小さくてもいいから希望が必要だった私は、
「人生が変わるかもしれない」という
期待を込めて、ハッピーエンドの映画を
レンタルビデオショップで探していました。
そこで目に入ったのは、
引き寄せの法則で良くも悪くも有名な
「the secret」というDVD。
「自己啓発」というジャンルがあることさえ
当時の私は知りませんでした。
自己啓発業界の表と裏を知った今では
シークレットは決してお勧めしませんが、
パッケージに書かれた希望に溢れる文言は、
私にDVDをレジまで持っていくのに、
十分過ぎる威力がありました。
当時の私は引き寄せの法則も知らなければ、
DVDがどんな内容なのかさえ知りません。
家に帰りそのDVDを見たときの第一印象は、
「え、これなんかやばくないか?」
ヤバいというのは”悪い意味”でです。
私は宗教っぽさを感じてしまい、
「とうとう俺もここまで追い詰められたか」
とさえ感じました。
私には、学生時代の先輩が新興宗教にハマり
しつこく勧誘された経験があるので
そういうものは、マジで生理的にムリでした。
とても面倒見のよかった先輩を
たった数年で変えてしまった宗教に、
私は恐怖さえ感じていたのです。
そのため、私は見る意欲を失い
DVDを流したまま漫画を読み始めました。
しかし時折耳に入ってくるDVDの内容に
私は興味を惹かれました。
というのも、私の過去の成功体験と
引き寄せの法則として話されている内容で、
似ている部分がいくつかあったからです。
「もしかしてこの法則を使えば、
俺の体も良くなるかもしれない」
わずかな希望を見つけた私は、
関連する本を片っ端から読み漁り、
法則を試してみることにしました。
”この人本当にわかっているのか?”
というような著者が書いた本も中には
ありました。
確かにコーヒー、駐車場の空き、
臨時収入など本に書かれているような
小さなものは引き寄せました。
しかし、私が一番欲しかったのは、
”後遺症を克服した自力で歩ける体”です。
その時、手術から半年のタイムリミットは
すでに過ぎていました。
しかし、私に焦りはありませんでした。
「最後のパズルの1ピースがハマれば、
何かが起きる」
と根拠のない確信があったからです。
私がメンターと出会ったのは
そんな時でした。
メンターが1体、あらわれた!
メンターとは師匠のような存在のことです。
私とメンターとの出会いは、
私がメンターのお客さんになったことが
きっかけです。
彼自身も人生のどん底から這い上がり、
現在は会社を経営しながらコーチとしても
活動をしている方でした。
彼のコーチングの料金設定は
彼が本業で得ている収入と比べると
明らかに少なくしているので、
基本的に相手が気兼ねしないように
料金を設定しているだけで、
実際はボランティアに近い感覚で
やっているのではないかと感じてます。
私はそんな彼の生き方はもちろん、
どん底から這い上がった生きざまに
憧れを感じていました。
メンターから教わったものは
・引き寄せの法則の原理
・潜在意識の使い方
などの願望達成の法則です。
それらを脳科学、心理学といった、
人体の機能の知識を以って、
「なぜそれで願望達成が可能なのか?」
という原理もわかりやすく教えてくれました。
それ以来、私はメンターに教わったことを
習慣にするよう努めました。
2か月後、どうなったか。
私は杖を手放しました。
信じられないことではありますが、
回復が見込める半年というタイムリミットを
過ぎていたにもかかわらず、自力で歩けるようになったのです。
私はあまり他人に自分の事を話さないのですが、
たまに自己紹介がてら、新たに仲良くなった人に、
「実は僕、数年前までこんな状況だったんですよ」
と話すと本当に驚かれます。
それくらい歩き方は自然になりました。
あなたはウソみたいに思うかもしれません。
ですが、私はこの手紙の冒頭で
あなたに言いました。
「ウソをつくのはこれが最後です」と。
信じなくてもそれもあなたの自由です。
さらにその3週間くらいあと、
今度は下半身の”ある部分”の
神経の後遺症が回復しました。
これを言うと少し下ネタっぽくなるので、
女性の読者のために具体的には言えませんし、
検査をしたわけではないので確実ではありませんが、
オブラートを何重にも包んで言うと、
「自力で子供を作れる可能性が出てきた」
ということです。
私はそれまで脊髄損傷の研究機関が発表している、
術後半年が過ぎた場合の後遺症回復の統計は
たったの数%というデータを見ては落ち込んでいました。
医師からも”自力で子供を作るのは難しい”
とはっきり言われていました。
しかし、術後から約9か月ほどたってから、
私の後遺症は著しく改善しました。
この出来事は私にとって、
「人間の可能性は無限大だ」
と信じるには十分すぎる自信を与えてくれました。
もう一度あの人に会いたい
それまで私が抱えていた
「復活したい」という願望と
現実とのギャップを乗り越え、
私の人生は一気に開けた気がしました。
私はこの一件を機に
”自分が欲しいものはなんなのか”
”人生で何を成し遂げたいか”
”自分は何を幸せと感じるのか”
というものを改めて考え始めました。
そのためには過去にケリをつける必要がありました。
その過去とは、別れてから10年以上経つ、
Aさんのことです。
正直、別れてからAさんのことが
頭によぎらない日はありませんでした。
しかし、私が知っているのは10年以上前の
私と付き合っていたころの彼女。
10年という歳月は人が変わるのには
十分過ぎる時間です。
ましてや女性の20代という時間は、
男性以上に価値観が大きく変わり、
方向性が定まっていく時期です。
自分はこれからどう生きていくか、
結婚相手に求める条件は?
結婚しても仕事を続けていくか。
もし主婦になるなら相手は
自分の人生を預けられる人間か?
相手ありきな面もありますが
社会に出ていろんな人間と出会い、
ぼんやりとしていた自分の理想が
徐々に固まっていく時期だと思います。
私だって良くも悪くも変わりました。
きっとそれはAさんだって同じなはずです。
ましてや彼女が今どこにいるのか?
彼氏がいるかどうか以前に、
結婚しているのかさえしりません。
私の友人にはAさんの連絡先を知っている人は、
誰一人いませんでした。
正直、八方ふさがりです。
ただ、私には後遺症が回復した実例があったので、
「今度もうまくいくんじゃないか?」
という楽観的な考えがありました。
私はメンターにこのことを相談しました。
彼はセルフコーチングのプログラムのほかに
恋愛に特化した教材も販売していたからです。
その時にいくつかアドバイスをもらいました。
人がなぜ人を好きになるかという
人間心理の原理原則。
そのためには何をするべきか。
テクニック的な話も聞けば教えてくれるのですが、
基本的には人間心理などの本質的な話が多かったです。
もしテクニックも勉強したいなら、
復縁に特化した情報商材というものがあると思うから、
信用できるものを選んで学ぶのも1つの方法だと
アドバイスを受けました。
今思えば、自分の利益を優先して
自身の恋愛の商材を売ろうとしない
師匠の思いやりに胸を撃たれますが、
当時は
「復縁にも、そんな商品があるのかぁ。」
と驚くだけでした。
相手の状況を何一つ知らなければ、
連絡先さえ知らない私が出来ることは
この時点で多くはありません。
復縁の知識や心理学を学びつつ、
セルフコーチングをしながら
「来るべき日」に備えることにしました。
願望が叶う感覚
それから約半年が経った頃です。
後遺症も大分楽になり働き出していた私は、
どん底で交流を敬遠していた友人たちとの
交流を取り戻し始めていました。
そんな中、小学生時代からの友人から、
結婚式の案内状が届きました。
私はこの結婚式が私とAさんを10数年ぶりに
引き合わせるきっかけとなるとは、
知る由もありませんでした。
結婚式が終わり、数日が経った頃。
私と一緒に結婚式に参加した友人が、
まだ始めたばかりのSNSに式の写真を
載せていました。
そこには新郎新婦の写真はもちろん、
参加した友人たちの写真もあり、
何故かその友人は満面の笑みで映った
私を一番目立つようにUPしていました。
その友人からは、
「お前もやれって!良いことあるから」
と何度も言われていたのですが、
私はSNSに少し抵抗があったため、
「へ~、世の中はすごい速さで進歩しとるな」
とジジ臭い返答で濁していました。
そんな友人から
「ちょっと大事な話があるから
夜に俺んち来て!」
と呼び出され、私は仕事を終えると、
その友人宅に向かいました。
友「ちょっとこれ見てみ(*´ω`)」
友人は結婚式の写真を載せたSNSの画面を
私に得意げに見せてきました。
私「あ、これ結婚式の写真じゃん!
楽しかったよね!」
友「いやそれはそうなんだけど、
このコメント見てみ!」
私「こ、これは!Σ(・□・;)」
そこには「○○だ~(≧▽≦)」と
私の名前を呼ぶAさんのコメントが
ありました。
「だからやれっていっただろ(*^^*)」
友人がしきりにSNSを勧めた理由が
やっとわかりました。
「自分磨きしといてよかった~」と
正直ホッとしたのを覚えています。
正直、このような流れで再び
Aさんとつがなるようになるとは
全く予想もしていませんでした。
私は基本的に神とか、宇宙の法則とか、
正直ちんぷんかんぷんです。
いや、もちろん私のメンターから
そういう「宇宙の法則」の話も
聞きました。
ですので私も理屈としては
何時間でも説明できます。
ただ、メンターの教え通りに行動して、
結果が出たにもかかわらず、そういった
人智を超えた領域については、
未だに「そういう考えもあるかもな」
という感じです。
それでも
「もしかしたらそうなのかも」
と思ってしまうほどに
私以外の力が働いて、これまでの
願望達成の一助になっていることは、
否定できませんでした。
当の本人の私でさえそんな感じですから、
あなたが私の経験を奇跡と捉えるか、
単なる偶然と捉えるかは自由です。
謎の枝豆選別機
それから10数年ぶりにAさんと
連絡を取り合うようになりました。
近況によればAさんが住んでいるのは、
私が住んでいる所から新幹線や車を使って
ざっと約6時間の距離でした。
なかなかすぐに会えるような距離ではありません。
私はそれまでに学んでいた復縁の知識を活かし、
相手の反応を見ながら徐々に連絡頻度を増やし
数か月後に2人で会うことになりました。
10年ぶりに肉眼で見たAさんは、
正直、かなりかわいかったです。
「キョエ~!やっぱり可愛いぜ!」
と心臓がバクバクでした。
私はどんな顔をしていいのかわからなくて、
10年前のように顔が赤くなっていないか
心配になりました。
小さな居酒屋で会うことになり、
テーブルをはさんで向かい合った
私たちの間に流れていたのは、
10年前と変わらない穏やかな時間でした。
つまみの枝豆を何かの基準で
夢中で選別している彼女の姿を見て
”こういうところは変わってないな”と
私は笑ってしまいました。
「どれ食べても味は一緒だから(笑)」
という私の言葉に、
「なんか楽しいね!」
と彼女は照れくさそうに笑いました。
楽しい時間の中でも言葉の端々、
10年間、どのように生きてきて、
どんな恋愛をしてきたか、など
お互いの価値観の変化を知るたびに、
改めて10年という歳月の長さを
思い知ることにもなりました。
もちろん目の前にいるのは
10年前の元カノと同一人物ですが、
私が知っている人でもありながら、
私が知らない人でもあるのです。
10年とはそんな気持ちにさせる、
膨大すぎる時間です。
私は不思議な感覚に陥りながら、
10年ぶりにあった「今の彼女」を受け入れ、
これまでの彼女への忘れられなかった思いが、
別の気持ちに昇華していくのを感じました。
それから、自然と付き合っていた時の
思い出話に花が咲き、
「いや~今考えてみると、俺って本当にありえないよね(笑)」
「ほんとだよ(笑)でも付き合って良かったって思うし、
そうじゃなきゃ、こうして会わないよ」
ある意味、”許し”とも思えるその言葉を聞いた瞬間、
「長かったけど、もうAさんを追いかけなくても大丈夫だな」と
自然と思えました。
どうでもよくなったのではなく、
一目会って過去を清算できたことで
吹っ切れてしまったのです。
再会するその日まで私は、
Aさんと復縁をしたいのだと思っていましたが、
執着心が消えたことで、
10年前のどうしようもないほどガキで、
わがままで自分勝手で、それでもAさんを
好きだった自分が成仏するような感覚になりました。
まるで卒業式のあとのような
前向きさの中に、少しだけ寂しさが同居している・・・
そんな感じです。
その日はお互いに時間を縫っての再会でしたが、
今でもAさんとは良い関係が続いてます。