全部失った20歳の朝から、誰かの力になれるようになるまで

omochi

どうも、ふくえん堂のおモチです。

私のプロフィールを開くなんて、あなた変わった人ですね。そういう人…すき(ぽっ)

私は2017年から、復縁アドバイザー/ライフコーチとして、復縁や人生に悩む方々の自分磨きサポートをしています。

…ちなみに2020年から2023年まで、LINE社のカウンセリングサービス「LINEトークCARE」で、復縁部門の公式カウンセラーもしてました。

基本はふくえん堂の活動がメインでしたので、LINEの方は空いた時間に対応させていただきましたが、最後まで☆5をいただいていました!
(*´σー`)エヘヘ

さすがLINE社というべきか、待機すればトイレに行く間もなく枠が埋まる、濡れ手で粟の状態。

ですが、1分ごとの課金システムと、「じっくり聞きたい」という私の相談スタイルが合わなかったため、LINE占いとのサービス統合を機に辞退させていただきました。

さて、私がこのような「誰かを応援する」という生き方にたどり着いたのは、若かりし頃の「恋愛の痛み」と「生きづらさ」が大きな理由となっています。

このページでは、恋愛に悩み、一度は人生が壊れてしまった私が、そこからどう立て直してきたのかを綴っています。

でも、これは私の話であると同時に、あなた自身が、自分のことを思い出すための時間でもあるかもしれません。

あなたがもしも失恋から立ち直り、幸せな恋愛、幸せな人生を歩んでいきたいと思うなら、私がどんな風に生きて、どう変わってきたのか——

あなたの人生にも、きっと重なる部分があると思いますし、幸せになるためのヒントが必ず見つかるはずです。

かなり長いですが、その一つ一つに、ちゃんと意味があります。

お好きな飲み物でも飲みながら、気楽に読んでいってくだされ!

もくじ
  1. 第0章:忘れられない人って、いるよな!
  2. 第1章:10年引きずる失恋
  3. 第二章:謎のモテキ突入
  4. 第三章:絶望時代
  5. 第四章:歩けないけど、前に進もう
  6. 第五章:そろそろ地獄から這い上がる話
  7. 第6章:信念

第0章:忘れられない人って、いるよな!

何年も前の恋愛なんて、多くの人が忘れていくものかもしれません。

正直、私自身、今からお話しする二つの過去の恋愛に、もう未練はないんです。

それは時間が経ったからでもなく、他の恋愛で上書きできたからでもなく、「彼氏として未熟だったけれど、それでも当時の自分なりに精一杯の愛情を注げたと思うから」です。

未練はないけど、覚えている理由

でも、未練はなくても、未だに過去の失恋を鮮明に覚えているんですね。

その理由は、人生これからという20歳の誕生日の朝に

・大切だった恋人
・健康な体(脊髄損傷による車いす生活)
・小学6年生から夢見ていたプロドラマーの道

これらを失ったからです。

ただ、この時の彼女に対して恨みがあるかといえば、答えはNOです。むしろ今では、彼女にも、過去にも、感謝しています。

あの経験がなければ、今ここで誰かの人生に関わるような生き方はできなかった。私は多くを失って、苦しんで、立ち直って、気づいたことがあります。

それは——
人生は、いつからでも立て直せるということ。

ここから先は、そんな私の物語です。

消費期限切れのおふくろの味

私は、母子家庭に育ちました。

でも、母と一緒に過ごす時間はほとんどありませんでした。母はコンビニの店長として、朝8時半に出勤し、帰宅は日付をまたいだ深夜1時。

なので、いつも祖母が私の面倒を見てくれていました。
 
年末年始も、クリスマスも、母と過ごした記憶はほとんどありません。

「おふくろの味は何?」と聞かれても、本気で「賞味期限切れのおにぎり」と答えてしまうくらいです。(たった数時間過ぎただけ!問題なし!食えるぞ!)

それでも母からは、きちんと愛情が伝わっていました。

私には年の離れた兄が二人いるのですが、彼らは思春期にグレました。でも、私がグレずにすんだのは、母や祖母たちのおかげだと思っています。

一方で、父との関係は、正直に言ってよくありませんでした。

父は普段ほとんど家におらず、たまに帰ってきても、すぐ誰かとケンカが始まるんです。

・父と兄がケンカ
・父と母がケンカ
・父がいないときは、兄と母がケンカ

…という毎日。

まるで家庭内三国志です。

しかも、口論で済むならまだしも、殴り合いになることも珍しくありませんでした。母も気が強いので、火に油を注ぐような展開になりがち。

幼い私は、そんな光景を毎日泣きながら見て育ちました。

「このままじゃお母さんが殺されちゃう!」と、小さな体で止めに入ったこともあります。ですが、当時4~5歳くらいだった私が止められるはずもありません。

「うるせえなくそガキ!」
「てめえもやっちまうぞ!」

そんな怒号のなか、泣きながら立ち尽くすしかありませんでした。

家庭って、本来は安心できる場所のはずですよね。でも当時の私にとっては、家はいつも、心をすり減らす不安と恐怖に満ちた場所でした。

見えない傷が、人生をつくっていく

どれだけ止めに入っても、母を助けることができない。兄や父は私の声なんて聞いちゃいない。

「自分は、何もできない」
「何の役にも立てない」
「邪魔者扱い」
 
そんな無力感と罪悪感を、私は幼いながらに、心のどこかで抱えていったのでしょう。

今だからこそわかることですが、こういった環境が、私の自己肯定感の低さを作り上げていきました。

人見知りで大人しかった私は、小学校の入学初日から2年生の終わりまで、上級生からのいじめの標的に。
 
その後は教室の階が変わり、物理的にいじめっ子と距離が出来たことでいじめ自体はなくなりました。

ですが、いじめられた記憶も、幼いころに傷ついたブロークンマイハートも、簡単には癒えません。(やべ、頭痛が痛いみたいなこと書いちゃった)

そのうち私は、他の“普通の家庭”の子を見るのがつらくなっていきました。

自分と彼らは、違う。
同じ子どもなのに、住んでる世界が違う。
——そんな風に感じていました。

例えば・・・

父母が仲よさそうに買い物している姿。
家族で外食や旅行に行くクラスメイトの話。
「おばあちゃんが見てくれてるんだ」と言うと微妙な空気になる教室。 

今でも覚えているのが、小学3年生のクリスマスのこと。

その日、友達と遊んでいたのですが、みんなその日は早く帰っていったんです。

最後に1人になった私は、仕方なく家に向かって歩いていたのですが、ある家から楽しそうな笑い声が聞こえてきたんですね。

おそらく、一家団欒でクリスマスを過ごしていた家庭でしょう。

私は、その幸せそうな声を聞いて、涙が出てきました。羨ましくて、寂しくて、悔しくて。

なので、未だにハウスのクリームシチューのCMを見ると、すごく切なくなります(笑)

あの幸せそうな家族の声と同時に、当時の自分を思い出してしまうから。

そんな生きづらさを抱えていた私を救ってくれたのが、ドラムとの出会いでした。

初めての引き寄せの法則

そんな私に、人生の転機が訪れたのは、小学6年生のとき。

ある日、なんとなく見ていた音楽番組で、ラルク・アン・シエルのドラマー、yukihiroさんの演奏を目にしました。

無表情でクールに、それでいてものすごい力強さでドラムを叩くその姿に、私は釘付けになりました。

「かっこいい…」
「俺もドラムやりたい!」
「このドラムセットがほしい!!」

とはいえ、我が家にはそんな余裕があるはずありません。

ただでさえ、母一人の稼ぎなうえに、父親が離婚届けに判を押さなかったことで、母子家庭の支援制度も受けられませんでした。(あんのクソ親父ぃ(# ゚Д゚))

そして、そのころは私の育ての親とも呼べる祖母が施設に入所してましたから、家計は火の車。

また、困ったことにyukihiroさんのドラムセットは、ロートタムという特殊な太鼓が3つあるので、他のものでは代用が利かないんです。当然、高いです。

ちなみにロートタムっていうのはコレです。「ドコドコ!ドーン!」ではなく、「ポコポコ!デュン!」みたいな不思議な音がします。

とまあこんな状況でしたから、私がyukihiroさんのドラムセットを手に入れるなんて、夢のまた夢だったのです。

それでも、初めて情熱を向けられる何かを見つけた私は、諦めることができませんでした。

そこで私が起こした行動は・・・

・ラルクのライブビデオを流しながら
・ドラムセットからの視界を想像して
・ピンと張ったテーブルクロスを箸で叩く(笑)

そんな“なんちゃってドラム”を、毎日毎日続けたんです。

これは後々わかるのですが、この行動って「引き寄せの法則」のお手本のような過ごし方なんですね。

実際、私は半年後にyukihiroさんのドラムセットを模した自分のセットを手に入れることになります。廉価版ではありますが、最終的には総額80万くらいのセットを組ませてもらえました。

「夢って叶うんだ…!」と感動しました。

…と言いたいところですが、実際は届いた段ボールの多さに圧倒され、2週間組み立てられなかったんです(笑)

でも、そこから私は、完全にドラムにのめり込んでいきました。

自信が与えてくれた夢

別にドラムをたたいている瞬間だけは悲しいことを忘れられたとか、自由でいられた、みたいなことじゃありません。

そんなことが思い浮かぶ隙もないくらい、好きな曲や難しい曲が叩けるようになること、それ自体が楽しいし、嬉しい。

「よし、また新しい曲が叩けた!」
「お!一発で完コピで来たぞ!」
「やっとこの技出来るようになった!」

だからもっとやりたくなる。1日に30時間くらい、常にドラムのことを考えているような状態。

気付けば、私は人生で初めて、自分に自信を持てるようになっていました。

そして、いつしかこんな思いが芽生え始めます。 

「ドラムに出会って、自分の事が好きになれた気がするし、何だか人生が楽しいな。ドラムを始めて、本当に良かった!

 でも、もしかしたら世界のどこかに、全く俺と同じような境遇で、今も辛いままの人がいるかもしれない。

 今度は俺がそう言う人に元気をあげられる人になりたい!」

(これ、あとでワンピース並みの伏線回収するんで覚えておいてけろ)

当時の私はそんな思いを胸に、プロのドラマーを夢見るようになりました。

Googleで「おモチ」と検索すると

「おモチ ピュア」
「おモチ 天使」
「おモチ 守りたい その笑顔」

と予測候補が出るのはそのためですね。(は?)

それから数年経って、高校生になった私は、ある女性と出会います。

ここから先は一見すると、ただの“学生時代の恋”に聞こえるかもしれません。

でもこの恋が、その後の10年にわたって、私の人生に大きな影響を及ぼすとは…

私の方こそ思いもしませんでしたよぉぉおおお!(# ゚Д゚)

第1章:10年引きずる失恋

ピュアで、天使で、守りたいその笑顔だった私は(え?)高校に入学してすぐ、ある女性に一目ぼれしました。

「こ、この胸の高鳴りはナンナンダァァアア!」

テレビでしか見たことのない女優や 当時流行っていたアイドルも含め、 私のそれまでの人生の中でダントツで ナンバーワンの女性です。

「俺はこの人に一目ぼれするために 生まれてきたんじゃないか?」

真剣にそう考え過ぎて白目を剥くほど、 その女性を見た瞬間、雷に打たれたのです。

しかも、なんと中学時代ほぼ毎日遊んでいた、友人のお姉さんだということが分かり、 私はなんとかその女性と友達になることができました。

ですが、ここで大きな問題が…

私は、女性と話すだけでほっぺたが赤くなってしまう呪いにかかってたのです。

頬が赤く染まる呪い

一言で言えば『赤面症』です。

好きな人を目の前にすると顔が熱くなってきて、

「もしかして俺のほっぺた赤くなってる?」
「マズイ!好きだってばれちまう!」

…そう思えば思うほど恥ずかしくなって、余計にほっぺたは熱くなります。

そんな状態ですから、その女性と 会っても挨拶をするのが精いっぱいで いつもやりとりはメールだけでした。でもそれだけで満足でした。

というのも、 付き合えるだなんて到底思えないほど、私にとって、その女性は高嶺の花だったからです。

この女性は、SUNNYという映画に出ていた時の池田エライザさんそっくりなので、今回はエライザさんと呼ぶことにしましょう。

この女性、エライザさんとの失恋が、 私の一度目の大失恋の物語です。

彼女と電話できたら、もう死んでもいいぜ!

あなたは”スラムダンク”という 漫画を読んだことがありますか?スラムダンクの序盤にはこんなシーンがあります。

主人公の桜木花道は高校に入学して早々、 赤木春子というヒロインに一目ぼれするのですが、 花道は春子のことを考えながら、 満面の笑みでこんな妄想をします。

「春子さん可愛いな~、 彼女と登下校できたら死んでもいいぜ!」

私はまさにその状態でした。

「エライザさんと登下校・・・そんなの恐れ多いぜ! でも、もしもエライザさんと電話とかできたら、 幸せ過ぎて死んでしまうんじゃなかろうか!」

我ながら「何て純朴な男子なんだ」と思いますが、 それくらいエライザさんが遠い存在だったのです。本当はもっと話したいことあるのに、 どうしてもその先に進む勇気がない・・・

その時エライザさんには恋人がいたのですが、 私はそんなことも知らずに、

「メールの返事が返ってくるかなぁ・・・ 返ってこなかったらどうしよう・・・」

いつもそうドキドキしながら、 交流を深めました。

そのやり取りの中で一番困ったのが、 恋愛の話題です。

というのも、「いつでも恋愛の相談乗るよ~!」 とエライザさんに言われても、 (いや、俺が好きなのはアナタなんですけど?) という感じで名前を伏せたまま 恋愛相談することもあったからです。

おかげでどんな男性がタイプか?などエライザさんの恋愛観はリサーチは出来ました。

しかし、リサーチ出来たところで 私には行動する度胸がありません。理想像ともいえるエライザさんを目の前にすると、 ほっぺの赤いただの静かなガキに一瞬で戻ってしまうのです。

好きな人に好きな人の事を相談する・・・ そんな奇妙な関係を続けながら、ただただ時間は過ぎていきました。

血走った眼で舐めまわされたJK

そうこうしているうちにエライザさんは卒業が近づいてきます。「卒業してしまう・・・」 という焦りはありました。

それと同時に、「もし今以上に関係が進展しても、 もうすぐエライザさんとは会えなくなってしまうんだ」そう考えると、それだけで切なくなります。

エライザさんのことは好きだけど、今告白して関係が気まずくなるのは絶対に避けたい、と考えた私はある決意をしました。

「数年後、立派な大人の男になって告白しよう」

私はそれまでほぼ毎日のようにしていた メールを辞め、エライザさんがいなくなった日の 寂しさに保険をかけました。

そして迎えた卒業式。

私は前日の夜から幼馴染の家で 「もう会えなくなっちまうよ~!」 「どうしたらいいんだ~!」 「好きだ~」 と徹夜で嘆いていたため、 肝心の卒業式は思いっきり寝不足でした。

エライザさんの最後の制服姿を寝不足で血走った眼に焼き付けた私は、 仲の良かった男性の先輩宅で遊んだあと、寂しさを引きずりながら自宅に帰り、 ベッドに入ると泥のように眠りました。

しばらくエライザさんに会えないことに耐えるには、 とりあえずその夜は寝るしかなかったのです。

その間、携帯が何度か鳴っていました。

私は「一体誰だよ!こっちは切なさに対抗するために、今から寝るんだ!邪魔すんな!」と、無視して眠りについたんですね。

それがエライザさんからの電話とメールだったとも気づかずに・・・

バカな自分を殴りたい午前2時30分

目覚めた私は少し落ち着きを取り戻し、 現実逃避のためにテレビゲームの スイッチを入れました。

当時の私の部屋のテレビは窓の近くにあり、 その窓にはいつも携帯電話を置いていました。

というのも、私の地元は田舎だったため、当時は、電波の良い海辺に行くか、 窓辺に置いて微弱な電波を何とか拾う(メールしか無理) という状況だったからです。

ゲームが起動されたテレビを見た瞬間、 窓辺に置いた、不在着信のライトが点滅する携帯が視界に飛び込んできました。

「あぁ、そういえば何回か携帯鳴ってたな」

眠い目をこすりながら携帯を開くと、知らない番号からの着信が2回。

「知らない番号・・・なんかこえ~」

その他に何通かメールが来ていました。

(こ、これは!)

送り主はエライザさんでした。

着信とメール受信の履歴を見るとエライザさんが連絡をくれたのは夜の11時頃。

しかし私が涙で枕を濡らすつもりが爆睡した挙句、 目が覚めた時刻は夜中の2時半です。

「こんな時に寝るなんて、 俺はなんてバカなんだ!」

ダメもとでエライザさんにメールをすると、 さきほどの知らない番号から、すぐさま電話がかかってきました。

恋する少年、凍る弥生の夜を駆ける

「なんで俺の電話番号を知っているんだ?」

普段ほっぺを赤くしながらあいさつする以外、 本当にメールだけのつながりでしたので不思議に思いましたが、それどころではありませんでした。

千載一遇のチャンスなのに、いかんせん電波が悪いので、着信があっても通話できないのです。

「これは海に行くしかねえずら!」

私はすぐさまエライザさんに 「5分後にかけなおします」とメールを送り、まだ雪の残る3月の凍った夜道を自転車で爆走しました。

いざ目指すは、バリ3の海辺なり!
(バリ3って久々に言いました。)

強風吹き荒れる極寒の海辺で、幸せ過ぎて死ぬ

「電話出来るなんて夢か?」

「いやこの耳がちぎれそうな寒さは夢じゃないぞ!やったぜ俺!」

逸る気持ちを抑えながら、 そしてカッチカチに凍った路面で2回ほど盛大に横転しながらも、途中の自販機であったか~いレモンティーと煙草を買い電話の出来る海辺につきました。

そこは強風が吹き荒れる極寒の世界でした。

数か月前までは、 「電話とかできたら幸せだろうな~」 と照れて顔が赤くなっていた私は、「夢ってこんな感じで突然叶うのか?」 と戸惑いながらエライザさんに電話をかけました。

”はじめてのでんわ”の巻

記念すべき最初の電話は確かこんな感じでした。

おモチ
おモチ

「すみません遅くなって!」 

エライザ先輩
エライザ先輩

「こちらこそ夜遅くごめんね?寝てた?」

おモチ
おモチ

「いえ!早寝して目が覚めたんです!押忍!」 

エライザ先輩
エライザ先輩

「今、家にいるの?」

おモチ
おモチ

「家だと電波が悪いので海辺に来ました!押忍!」 

エライザ先輩
エライザ先輩

「え、寒いでしょ?ごめんね」

おモチ
おモチ

「大丈夫です!なんかあったんですか?」 

エライザ先輩
エライザ先輩

「今友達とパーティーしてるのね」

おモチ
おモチ

「え~!いいなぁ…」
(俺も混ざりてぇ、いや…参加したら緊張しすぎて死ぬな)

エライザ先輩
エライザ先輩

「それでね・・・全部聞いたよ」

おモチ
おモチ

「なにをですか?」

エライザ先輩
エライザ先輩

「○○(おモチ)が好きな人の事(笑)」

・・・私は一瞬で頭が真っ白になりました。

というのも、私はこれまでにエライザさんとのやりとりの中で、

  • 片思いの人がいること
  • それはエライザさんが知っている人だということ
  • だからこそエライザさんには言いたくないということ
  • その人がどれだけ好きかということ

こんなことを聞かれるたびに答えていたからです。

機密情報をバラした犯人はキサマか!

私はエライザさんに真実を伝えたのが、Kさんだとすぐにわかりました。Kさんはエライザさんの友人であり、かなり相談に乗ってもらっていたからです。

おモチ
おモチ

「すいません、今その場にKさんいますか?」

エライザ先輩
エライザ先輩

「え、いるけど代わr…」

おモチ
おモチ

「代わってください!」

食い気味でそう告げた私は、電話を代わったKさんにみんなのもとから離れてもらい、問い詰めました。

おモチ
おモチ

「ちょっと!どうしてバラすんですか!」

Kさん
Kさん

「アハハ!」

おモチ
おモチ

(アハハじゃねえっつうの!)

Kさん
Kさん

「ごめん(笑)だってエライザからしつこく聞かれたんだもん」

おモチ
おモチ

「俺には壮大なプランがあったのに!うまくごまかしてくださいよ!」

Kさん
Kさん

「うるさい!エライザに代わるよ」

おモチ
おモチ

(ぎゃ、逆ギレかよ…女ってこえ~…)

「あ、エライザさん、なんかすみません…Kさんが言ったのは事実です…それとKさんに今までのお礼を…」

エライザ先輩
エライザ先輩

「なんで謝るの?(笑)明日も電話していい?」

おモチ
おモチ

「え?(´・ω・)」

エライザ先輩
エライザ先輩

「何時なら大丈夫なの?」

おモチ
おモチ

「いつでも!」

(なんか・・・恋の予感がするぞ)

私は電話を切ると腹の底から湧き上がる「ふんぎゅ~イイイイイイイイイ(# ゚Д゚)」 という声にならない声と、 ほとばしる謎のエネルギーが体中の 全細胞に行き渡るのを感じました。

冷えきったレモンティーでも 興奮覚めやらぬまま、私は数メートルおきに星空に向かってガッツポーズしながら家路につきました。

帰り道はもう寒くありませんでした。
心が暖かかったですから。

えぇ、はい(・∀・)

有頂天の日々のはじまり

結論から言うとKさんだけでなく、 エライザさんの友人はみんな、私が彼女を好きなことを知っていました。エライザさんだけが、私の好きな人は他にいると思っていたそうです。

彼女は友人公認の信じられないほどのド天然だったのです。

何やら、卒業式の2か月くらい前から、私のことが気になり始めて、卒業を機にパーティーで友人たちに打ち明けたそうです。

しかし、私が好きなのはエライザさん本人ですから、「それアンタのことだよ!どんだけ鈍いの!」と真実を知っている友人たちから教えられ…そんな経緯で電話した、とのことでした。

その初めての電話から2週間後、告白されて付き合うことになりました。そこから私の有頂天人生の始まりです。 

「なんだよ!ただのノロケ話かクソが!」
「さっさと地獄を見せてくれぇ…」
「アタイはね!他人の恋愛話に興味ないんだよ!」

と思いましたか?(いや、そんな人いないか)

安心してください(笑)

待たせたな!ネタ振りは終わりだ!

ここまでを読んで、いかに私がエライザさんを好きだったかがわかると思います。

付き合えるとも思っていなかった分、一緒に過ごせた半年間は、まるで奇跡のように感じていました。でも、だからこそ、その幸せがいつか壊れてしまう事が怖くなってしまったんです。

当時の私は、「もっと魅力的な男が現れたら、 自分なんてすぐに捨てられるんじゃないか」 そんな不安にとらわれていました。

遠距離や生活環境の変化も重なって、 心の中にどんどん“怖さ”が膨らんでいきました。

そしてあるとき、こう考えるようになってしまったんです。

「どうせいつか振られるなら、 こっちから別れた方がマシかもしれない」

それから私は自ら別れを切り出すようになりました。彼女の「別れたくない」という言葉で愛情を確かめたかったからです。

おそらく健全な心をお持ちの方には、当時の私の心境は理解できないでしょう。

こういった「試し行動」は完全に愛着障害の不安型の特徴で、幼少期の家庭環境からくる自己肯定感の低さが原因でした。

でも、そんなこと当時は知りませんし、何よりエライザさんには関係ありません。彼女の気持ちなんて見ていなかった。ただ、自分が傷つかないための“逃げ”でした。

エライザさんは何も変わっていないし、むしろ私をとても大事にしてくれました。誰が見ても彼女は悪くないのです。 しかし、私だけが勝手に彼女を失うことを恐れ、勝手に不安になり、勝手に別れを切り出したのです。

それも一度や二度ではありません。 そのたびに私はエライザさんを泣かせ、「別れたくない」という言葉を聞かなければ、愛されているという安心感を得られませんでした。

「不良少年が問題を起こすのは本当は叱ってほしいからだ」という話を聞いたことはありませんか?私は不良少年ではありませんでしたが、何か似た感覚を今では感じます。

高嶺の花だと思っていたエライザさんが、自分と一緒にいたいと涙を流してくれる・・・

私はその状況に安心感だけでなく、優越感さえ感じていました。今思えば、本当に最低でしたね。

ただ、当然ながら、そんな人間に嫌気が差さない人はいません。

そして本当の別れがやってきたのです。

エライザさんは私からの連絡は着信拒否、メールアドレスも変更していました。当たり前のことです。

しかし、彼女を傷つけた当の本人である私には「こんなはずじゃなかったのに」という思いだけが残りました。

自業自得で本当に恥ずかしい話ですが、これが私の一つ目の大失恋です。

私はこのとき、本当に悔やみました。しかし、同情の余地はありません。何しろ、自ら幸せを壊したわけですから。

当時はSNSなんてなかったので、電話も出来ない、メアドも知らないという状況は、もう二度と会えないことを意味していました。 

それでも私はこう考えることで、何とか日々の生活を取り戻しました。

「また会えるかわからないけど、もしその時があるなら素直に謝って、もう一度笑いあえるように頑張ろう」 

この時はまだ、十年の歳月を経て会えることになるとは、夢にも思いませんでした。

第二章:謎のモテキ突入

エライザさんと別れて、心にぽっかり穴が空いたような日々が続きました。しばらくの間、好きな人もできず、ドラムばっかり叩いてたんです(笑)

というのも、あまりに理想すぎる女性と付き合ってしまったがために、その後に出会う女性たちを、どうしても比べてしまうんです。比べるつもりなんて、毛頭ないんですが、つい心の中でエライザさんの幻影と比べてしまう。

そんな私の乙女心(え?)とは裏腹に、なぜか私は「謎のモテ期」に突入していました。

自分でもビックリなのですが

・知り合いを通じて知らない女性から連絡先は聞かれるわ(どこで俺を知ったんだ?)

・買い物中に全く知らない女性から連絡先を聞かれるわ(俺を買いたいってか?)

・知り合いの彼女に告白されるわ(別れてから来いや!キショイんじゃ!)

そんなことがある時期に立て続けに起こりました。

一応言っておきますが、私の見た目は“中の下”くらいだと自覚しています。

なのに、なぜ?…今ならわかります。

当時の私は、復縁の知識なんてまったくなくて、「自分磨き」なんて概念すら知りませんでした。ただ、「このままじゃだめだ。何かしなきゃ…」っていう焦りの中で、手当たり次第に行動していた気がします。

今振り返れば、まだ表面上の努力にすぎませんでしたが、自分なりにできることを探して行動していたことで、不思議と周囲の反応が変わっていったんですね。

復縁を目指して努力している人が、なぜか他の異性にモテるようになるというのは「復縁あるある」です。

中の下の私でもそうなんだから、あなたにもきっと起こります。ご安心めされよ(笑)

…とはいえ。
どれだけ声をかけられようが、エライザさんを超える人なんて、いませんでした。

それくらい私は、ずっと彼女を引きずっていたんです。

矢田ちゃんとの出会い

そんな中で出会ったのが、2つ目の忘れられない大失恋の相手でした。

彼女は周りに「矢田亜希子さんに似てる」と言われていたので、今回は矢田ちゃんということにしましょう。

「あ、この子可愛いな」

最初は例にもれず見た目からでした。

残念ながら男はそういう生き物です。いや、少なくとも私はそういう男です(笑)

ただ、私にとって矢田ちゃんは『可愛い妹のような存在』で付き合うことになるとは全然思っていませんでした。

私の中でエライザさんは絶対的な理想像となって、私の心の中に君臨していたのです。

それでも、矢田ちゃんからの猛アタックの末、「ちょっとこの子といると楽しいなぁ」と惹かれ始め、付き合うことになりました。

まさかこの恋愛が私の人生に大きな影響を与えるとは夢にも思っていませんでした。

スーパーヘビー級の恋(閲覧注意)

※あおりではなく、この先、ショッキングな文章がありますので読む方は本当に自己責任でお願いします。

矢田ちゃんと付き合ってしばらくの間、私たちは普通のカップルのように、普通の幸せな日々を送っていました。ドライブをしたり、カラオケに行ったり、彼女の手料理を食べたり、クリスマスを一緒に過ごしたり。

しかし、私は彼女の笑顔に何か影のようなものを感じていました。

ある日、私が彼女の部屋に遊びに行った夜の事です。

矢田ちゃんは何故か部屋の明かりをつけないまま携帯を見つめていました。携帯電話の明かりに照らされた彼女の顔には涙が流れていたんです。

自分をアピールするわけじゃありませんが、私は浮気を一度もしたことがないので(今のところは・・・です)彼女を泣かすようなやましいことは何もありませんでした。

となれば何かあったとしか考えられません。

理由を尋ねると彼女は何も言わずに、あるウェブサイトにアップされた画像を恐る恐るわたしに見せました。

それは、黒い袋に入れられる直前の中絶した赤ん坊の写真でした。(気分を悪くされた方はすみません)

取り返しのつかない過ち

実は彼女には数年前に当時の彼氏との間に命を授かったもののやむをえない事情で中絶した過去がありました。その経験は彼女の心に深い傷を残していたのです。

私はそれを風のうわさで知っていましたし、本人からも過去を打ち明けられた上で付き合うことを決めたのです。

でも、いざその画像で現実を突きつけられると、(あぁ、これはキツいだろうな・・・)と彼女にかける言葉もみつかりませんでした。

生まれてくるはずだった命への罪の意識。
自分たちがしてしまった軽率な行動の後悔。

私との日々の中で薄れて始めていた、それらの感情をその画像によって一気に思い出したのかもしれません。

「一番かわいそうなのは、赤ちゃんでしょ」
「それだけのことをしたんだから
 本人が苦しもうが自業自得」

という意見もあると思います。

確かにその通りなのかもしれない。同じような経験をしても反省の色も見られない猿のような奴らがいるのも確かです。

でも、少なくとも彼女自身は本当に苦しんでいました。

本人たちの若気の至りでそういう結果を選んだこと。それがいかに軽はずみな行動で、無責任だったかを彼女は十分理解していました。

だからこそ本人が苦しいのは当然でも、私は放ってはおけませんでした。(元カレに罪の意識があるかは知りませんが)

しかし、重い話であることは変わりません。

私は矢田ちゃんにかける言葉が何一つ出てきませんでした。情けないですが、ただ矢田ちゃんをハグして彼女の涙が止まるのを待つだけで精一杯だったんです。

バカな元カレのせいで、何で俺がこんな目に。

彼女が落ち着くのを待っている間、私の頭の中にはいろんな考えが浮かんでは消えていきました。

(誰だこんなクソサイト作った偽善者は!)

(いやそれよりも俺はどうするのが正しいんだ?)

(正直ここまでキツイとは思わなかったな)

(つうかなんで俺が前の彼氏の尻拭いしなきゃいけねんだよ)

(待て待て。一番つらいのは彼女だ)

(俺がしっかりしなきゃダメだろ)

正直、私はかなり混乱していました。

実際に同じ立場になればわかりますが、自分とかかわりのない過去の話にしては、本当に『重すぎる話』ですからね。綺麗ごとなんて一切出てきません。

そんな思考のループの中、私はこう感じました。

「だからって、彼女が幸せになっていけない理由にはならない」と。

私がそう思えたのは、彼女が彼女なりに、過去の出来事に後悔し、反省しているのが伝わってきたからです。

私は小さいころからおばあちゃん子で、戦時中に2人のわが子を失ったおばあちゃんは、まだ幼い私に命の大切さを何度も言い聞かせてくれました。

そのため、本来の私はこういった「命を大切にしない人」「自分を大事にしない人」に対して、非常に怒りを感じる人間だったのです。

もしも彼女が反省の素振りもなく、毎日ヘラヘラと暮らしている人間だったら、私は彼女とは付き合わなかったでしょう。心の底から軽蔑したと思います。

でも彼女は違いました。

だからこそ、
「俺の役目は、彼女を幸せにすることだ」
私は本気でそう誓いました。

生まれ変わったら

生まれ変わり、ってあるんでしょうか?

実は私、これまでに何度か幽霊を見たことはあるんです。ちなみにUFOも(笑)でも、生まれ変わりとかはよくわかりません。

しかし、この時ばかりは例の画像がショッキング過ぎて、正直ビビっていました。それでも目の前の泣いている彼女を救うためにはそうも言ってられません。

今、文字にするのは恥ずかしいのですが、「守ってあげなきゃ」という一心でした。

これからの自分と彼女のことを考え、ビビっている自分を奮い立たせるために、私は天国にいるであろう赤ちゃんにこう念じました。

「俺と彼女がもう少し早く出会っていれば、あなたもこの世に生まれてこれたかもしれません。本当にごめんなさい。

おそらく彼女を恨みたい気持ちもあることでしょう。

でも恨みを晴らすために何かしようとしているなら、俺はそれを払いのけて彼女を守ります。

どうしても何かしたいときは、俺の方に来てください。

それで気が済んだら今度は俺と彼女のところに生まれてきてください」

はたから見れば完璧にイタイ奴ですが、当時は本気でそう思いました。もちろん、実際に私に何かあっても、払いのける術はありませんでしたが・・・

ただ一つ言えることは、それから彼女と別れるまでの間、そういう現象は一度もなかったということです。

そう・・・

こんな壮大な決意をしたにも拘わらず、最終的に別れたのです(笑)

ただ、私にとってそれからの日々は、「精一杯、彼女を愛したんだ」と胸を張れる、私の人生の宝ものとなりました。

絶対に彼女を幸せにしよう

それまでの私の恋愛は、好きな気持ちさえあればOKのわたあめのようなフワフワしたものでした。まあ若い時の恋愛ですからそれも当然と言えば当然。

それはそれで幸せなものですが、矢田ちゃんとの恋愛はそれだけではありませんでした。

今思えば・・・ですが、「守るべき存在」というものを私が初めて意識したのが彼女だったんでしょうね。

「この子を絶対に幸せにしよう」と決意した例の夜から、しばらくは辛い日々でした。

正直、元カレの話なんて聞いても私になんのメリットもないし、いろいろ当時の事とか想像しちゃうし、幸せだった日々を壊された気がして私は腹も立っていました。

ですが、この際自分の事は結構どうでもよくて、「苦しんでいる彼女を助けなくては!」という思いの方が強かった気がします。

それだけに彼女が笑顔を見せてくれると、本当にうれしかったのを覚えています。

彼女を救うつもりが、いつの間にか、その笑顔に救われている自分がいました。そうして私たちの絆は深まり、徐々に彼女は出会った頃の明るさを取り戻し始めたんです。

それは、決して過去を忘れたのではなく、過去との向き合い方を彼女なりに見つけたのだと思います。

彼女が笑顔でいてくれることに、私は本当に幸せを感じていました。

彼女の性格が表れているような盛り付けのきれいな美味しい手料理。

ソファで一緒に横になって見るテレビ。
休日のドライブやお決まりのカラオケ。
ゲームに熱中する私を横で一生懸命に応援する彼女。

私が仕事でしんどいことがあって、弱気になったときも、彼女は支えてくれました。

矢田ちゃんは本当に私を大切にしてくれましたし、どんな時でもそばにいて私を助けてくれました。

「この子なら、自分は幸せになれるかもしれない」

そう素直に思わせてくれた人でした。

そんな彼女を、私は幸せにしたいと真剣でした。それを行動、態度で表そうと努力しましたし、彼女の笑顔を見るために、思い出すだけで顔が赤くなるような下らないこともしました(照)

しかし、そんな日々から一年が経つころ。

再び、試練がおとずれました。

月と太陽

そんな幸せな日々の中で、私には1つの葛藤がありました。

それはエライザさんの存在です。

もちろん連絡も取っていませんし、他の女性とも浮気はしていません。

しかし、どんなに2人で楽しく過ごしても、ふと1人になると、エライザさんのことを思い出してしまうんですね。

矢田ちゃんの立場で考えたら、本当に頭に来ることですが、目の前の矢田ちゃんが大切なのは嘘ではないんです。

当時の私の心の中にあったのは

「もうエライザさんと会う事はないんだから、もう二度と後悔しないようにエライザさんにできなかった分も、矢田ちゃんには出来る全ての事をしてあげよう。」

という思いでした。

まぁ、エライザさんが話に出てくる時点で、ありえない話なのかもしれませんが、私にとってどちらも大きな存在だったのです。

例えるなら、矢田ちゃんは私にとって、明日も必ず昇る太陽みたいな人でした。当たり前のようにそばにいて、当たり前のように、暖かく私を照らしてくれました。

もちろん好きで付き合っている訳ですし、その相手がそんな素敵な人であればなおさら、幸せにしてあげたいと思わない方がどうかしてるでしょう。

それでも、ふと1人になると、時間の経過とともに、形を変え、表情を変えながらも、暗い夜道も照らしてくれる月の様に、エライザさんもまた、当たり前に私の中にあったのです。

私は葛藤を抱えながら、矢田ちゃんの暖かさに罪悪感をひた隠し、その愛情に応えようとしていました。

気温30度以上でも長袖の彼女

その年の夏。私は彼女の服装に違和感を感じていました。

矢田ちゃんはどんなに暑い日でも、私の前ではずっと長袖でいることが多くなったのです。

「冷え性だし、日焼け対策してるだよ」と彼女は笑っていました。私はその笑顔を見て「ふ~ん。女子って大変だなぁ」とその話を真に受けていました。

そんなある日のこと。

私たちはほぼ毎日のように会っていたのですが、その日はたまたま用事があったんですね。

思いのほか早く用事が済んだ私は、矢田ちゃんに連絡を入れようと思ったものの、携帯の充電が切れてしまったため連絡せずに、直接矢田ちゃんの家に向かったんです。

ついでに彼女をびっくりさせようと、こっそり部屋まで足音を立てずに向かいます。

私の頭の中では、ビックリした矢田ちゃんの顔と、その後の笑顔が浮かんでいました。

そして、「ジャーン(∩´∀`)∩」と部屋の扉を開けた私の目に映ったのは、びっくりした彼女の顔でした。

しかし、その表情が笑顔に変わることはなく、私を見てポロポロと大粒の涙があふれだしたんです。

その涙が零れ落ちた先にあるのは、カミソリで傷つけた彼女の腕。

彼女がいつも長袖でいたのは日焼け対策でもなんでもなく、私にリストカットの跡を見せないためだったのです。

彼女が手首を切る理由

傷の深さや、傷の位置を見れば、死ぬつもりでやってないことがわかりました。

しかし、「だからOK」とはなりません。

体を傷つけてでも紛らわさなければいけない問題が何かしらあるからです。そして、自傷行為がクセになってしまうことも私は知っていました。

赤い血が流れている傷。
かさぶたになっている傷。
深く切って紫色の跡が残った傷。

余白を傷で埋めるかのように傷つけた、彼女の腕を見れば、もはやリストカットに依存していることは、素人の私でさえわかりました。

「なにやってんだよ!」と問い詰める私。
「ごめんなさい・・・」とただ謝る彼女。

手首を切る原因は、「ちょっと、昔の出来事を思い出して辛くなってしまった」ということでした。

実は、彼女には堕胎とは別に、男性不信になった過去がありました。その辛さを明るい人柄で隠していたんですね。

私はそれまでの付き合いの中で、もちろんそのことを知っていましたし、「これからは俺が守っていけば何も問題はない」と思っていました。

もちろんそう簡単に割り切れたわけではありませんが、私が彼女を笑顔にすることで、彼女の傷も薄れると信じるしかありませんでした。

そして、そんな思いを言葉だけでなく態度、行動で示してきたつもりでした。

だからこそ、私は自分が情けなくなったのです。

…でも、本当は私には、何も見えていなかったのかもしれません。

あれ…俺、何やってたんだろう?

100%他人を理解するのは難しくても、ウソで笑っているのか、本心からの笑顔を見せてくれているのか。

…関係の深い恋人であれば、わかると思っていました。

今思えばですが、私が彼女を笑顔にしようとすることは”彼女の笑顔を見ることで救われたい”という私のエゴだったのかもしれません。

そして、彼女の笑顔が増える度に、私は彼女の傷が薄れてきたのだと勘違いしていたのかもしれません。

「笑顔を増やすことが出来たとしても、それは彼女が1人でいる時の闇を深くしただけじゃないだろうか。」

「自然と彼女が涙を流せる場所を俺が奪っていたんじゃないか。」

「彼女の悲しみや恐怖を和らげる手段がただ代わっただけじゃないだろうか。」

”二度と同じ事で傷つかないように彼女を守る”
私は彼女の事を守るために必死でした。

しかし、辛い過去を思い出さないように、私が今まで触れずに来た過去に対して、彼女は1人で悩んできたのかもしれない・・・

そう考えると、私は本当に無力感を感じました。

正直、そこから何を話したのか覚えていません。

ただ、私に出来ることは、彼女を守ること。
一人で苦しまないように、そばにいること。
そして、やはり最後には笑顔でいてほしかった。

私のエゴだったかもしれないけど、彼女が笑うと本当にうれしかったのはまぎれもない真実。

それから私は自分が出来ることは行動で示そうと必死でした。

何が間違いで何が正解かもわからない。
しかし、考えても答えは出ません。
なら自分が出来ることをやるしかない。

それでいったんは自傷行為が収まったかのように思いました。

普通の幸せなカップルに戻りたい

一度は収まったかに見えた自傷行為。実際は腕の傷が減っただけで、腕だとバレやすいから足を傷つけたりと、私の目をかいくぐっては、彼女は自分を傷つけていました。

少しずつ、自傷行為は徐々に減っていきましたが、再発するたびに私は無力感に苛まれました。

理由をきいても「何でもない」
私が原因かと尋ねても「あなたは悪くない」
何かあったのか聞いても「何もないってば」

・・・最後の方は、そんな会話ばかりでした。

彼女はもちろん辛いのですが、そんな状況に私も正直疲れ始めていました。

「数か月前までは、いつも楽しかったのにな」
「恋愛ってこんなに辛くなるものだったっけ?」
「前のように”普通の幸せ”が欲しい・・・」

「彼女を見捨てるのか」とか、「冷たい」「最低だ」と思われても、私の本音はそんな感じでした。

「ここまで頑張ったつもりだけど、結局俺って無力なんだな」

彼女と普通の幸せを築きたい思いと、現実のギャップはあまりに大きく、“好きになればなるほど自分が辛くなる”そんな恋愛になっていました。

もちろん、いつもそんな暗い気分だったわけではありません。会っていれば普通に笑いますし、楽しいのです。

しかし、ちょっとしたことで喧嘩が増えたのも事実で、そのたびに彼女が自分を傷つけると、「普通の恋愛がしたい」と考える自分に気づき、私は自己嫌悪に陥りました。

正直、お互いの努力もむなしく、最後の方はそんな感じでしたね。

別れの朝

そして、付き合って3年が過ぎた冬の朝。
その日、私は20歳の誕生日だったんです。

当然、矢田ちゃんと二人で過ごすことになっていました。

「お昼に行くね!」と連絡しても、返信がない。電話を掛けても、彼女が出ないのです。

「何かがおかしい…」
「また、自傷行為が再発したのか?」
「それとも、彼女に何かあったのか?」

そう思って急いで支度し始めると、矢田ちゃんからのメールが届きました。

「よかったー!もしかして寝てたのかな?
 心配かけて、もう!」

ホッとした私が彼女からのメールを開くと、そこには今までの彼女の思いが淡々と書かれていました。

「私をとても大切にしてくれているのは伝わっているし、こんなに大事にしてもらったことなんてなかった。でももうこれ以上、私以外の人を思うあなたのそばにはいられない。」

…彼女は、私がエライザさんへの未練があることに気づいていたんですね。

私はその瞬間、一気に顔から血の気が引いていくのがわかりました。

「俺がエライザさんを忘れていない事を知りながらも、今まで一緒にいてくれたのか・・・」

非常に滑稽ですが、彼女が自分で自分を傷つける本当の理由を、別れのメールが届くまで私は気づけませんでした。

私は矢田ちゃんは太陽のような人だと思っていました。いつも明るい笑顔で私のそばにいてくれたからです。

でも、太陽って眩し過ぎて肉眼で直視できませんよね。

彼女がどんな気持ちで私に接してくれていたのか。

どんな思いに耐えながら、それでも暖かくそばにいてくれたのか。

本当は太陽はどんな顔をして、私を照らしていたのか。

私にはそれが見えていなかったのです。

「誰よりも自分を理解してくれて、大切にしてくれる人を傷つけて、自分は何をやっていたのか」

それでも私の矢田ちゃんに対する思いにウソはありませんでした。

「せめて話をさせてほしい・・・」

そう思っても、もう連絡はつきませんでした。

こうして人生これからという門出の日に、2つ目の大失恋を経験した私。ここから私の人生は、一気にどん底に落ちていくことになります。

第三章:絶望時代

別れてから一か月たったころ。私たちと仲のよかったあるお姉さんから、電話がかかってきました。

「言おうか迷ったんだけど、あの子がちょっと心配で話しておきたくて。どうやらあの子、夜の店で働き出したらしいのよ。」

「そうなん…ですか…」

「それで今は××っていう男と付き合ってるって。おモチ君、××っていう男知ってる?」

「いえ…知らないですが…」

私はその××という男を知りませんでしたが、聞けば聞くほど性格、女癖、素行の悪さなど、色々と評判の悪い男でした。

彼女自身が苦しんだ過去の経験は、そういうタイプの男が原因でしたから、それまで彼女を守ってきた私にとっては、言うなれば敵のような男です。

その男と彼女が付き合ったことを知り、私はそれまで抱えていた後悔や、自分への情けなさに加え、

「俺が彼女のためにしてきた事は、なんの意味があったんだろう?」

と怒りなのか、哀しみなのか、もう色んな感情が一気に爆発しました。

今思えば彼女にも考えがあったのでしょうし、そうでなくとも彼女の人生に私が口出しする権利はありません。

現に私も完璧な彼氏だったとは、微塵も思っていません。

ただ私にはそこまで考える余裕がありませんでした。

指名手配犯のような顔つき

「俺が彼女を守ってきたのって何の意味があったんだろうな。もう考えるのもめんどくせえわ。」

「俺ってこんな顔だったっけ?」と自分でも驚くくらい、別人のように目つきは冷め、私は自暴自棄になりました。

常に酒を飲んでいないと感情に押しつぶされそうです。睡眠導入剤を既定量の何倍も飲んでも、夜は眠れなくなりました。

性格も荒み、人間関係も上手くいきません。仕事も辞めてしまい、一気に生活は苦しくなるばかり。

金がなくなると今度は、身の回りのあらゆるものを売っては酒に変えました。

過度の飲酒、過剰な喫煙、その他不摂生の数々(笑)

「幸せとか、もうどうでもいい。ただただ、この辛い気持ちから逃れられればいい。」

本当にかっこ悪いですよね。
でもそんなこと関係ありませんでした。

私はこの時、自分の人生がどうでも良くなっていたのです。

人生どうでもよくなった結果・・・

私の人生で最も暗い時期が訪れました。

自業自得で招いたこの結果、ストレスにより体調は崩れたあげく、以前からドラムで痛めていた腰は脊髄損傷の度合いを増し、下半身は激痛を通り越して徐々に感覚を失い始めたのです。

私は歩くことさえままならなくなり、排泄にも支障が出てきました。

そして緊急手術。

手術の3時間くらい前、執刀医から、

「もちろん最善を尽くしますが、重症ですので手術が終わり目が覚めてももう2度と歩けないかも知れません。それは覚悟をお願いします。」

と言われました。

その分野では全国的に見ても、名医と言われる先生からそう告げられた時、私の母は泣いていました。

私は歩けなくなる恐怖とともに、母に対して申し訳なくなりました。

私が自身の弱さに流されるまま行動した結果、女手一つで私を育ててくれた母に大変辛い思いをさせている。

私はいたたまれなくなり、

「ま、こうなっちゃったけど、手術終わるまでわかんないんだから、いい結果を期待しよう!名医らしいし、上手くやってくれるよ」

と母に言いました。

でもきっと、私の顔はとても頼りなかったことでしょう。

歩けなくなるくらいなら…

私はそれまで「どうにでもなれ」と好き勝手に荒れていました。

しかし、それはただの強がりでした。

その結果招いたこの事態に、
「このままじゃ俺は本当に終わりだ」
と恐怖が一気に押し寄せてきました。

本当は人生がどうでもいいわけなくて、幸せを諦めてなんかいなかったんだと、今更のように気づきました。

ですが、時計の針は逆向きには回りません。

“自ら自分の人生を破滅に追いやっていた”

と気づいたところで、これからの運命はもはや、『神のみぞ知る』という所まで私は落ちていたのです。

「このまま目が覚めたら、一生車いすになるのか。

一人でどこにも行けなくなり、家族にトイレや風呂を世話してもらうのか。

今まで好きだったドラムもできなければ、もう普通の恋愛もできないだろう。

俺みたいな奴が車いすじゃ、誰も愛してなんかくれないよな。

会いたい人だっていたし、やりたい事はまだまだあった。

幸せとかどうでもいいと思ったけど、それウソだったな・・・

俺はこの先、幸せになれるのか? もう無理なのかな・・・」

人生初の手術、下半身不随への恐怖。

希望と諦めを半々に抱えた、不安な精神状態の私を乗せたストレッチャーを、看護師たちが手術室に向けて押していきます。

麻酔医の説明なんて聞く余裕はありませんでした。

本当にビビってました。

私は麻酔で意識が飛ぶ最後の瞬間まで、心の中でこのように叫んでいました。

「神様、本当にいるなら頼むから成功させてくれ! 歩けなくなるくらいなら、もう殺してくれ!」と。

はじまった麻酔導入の5カウント

手術台に載せられた私の視界には、まるでUFOを真下から見上げているかのように、複数の照明が円を成していました。

そして、麻酔のカウントが始まります。

1.2.3....

数時間後、目を覚ました結果、私の足は動きませんでした。

「まさか、ウソでしょ?」

しかし、母は安堵の表情でこう答えます。

「成功したって!良かったね!」

今、考えれば全身麻酔が完全に抜けていなかったし、手術前の生活で著しく筋力が衰えていたのですから、すぐに足が動かないのは当然かもしれません。

しかし、現に手術が成功したとしても、神経へのダメージの度合いによって、歩けるかどうかは別問題。私は不安で仕方ありませんでした。

医師からの説明によれば、術後から半年間、残った麻痺や運動機能の低下、排泄能力、生殖機能などの後遺症がどれくらい回復するかが問題とのことでした。

「もう普通の生活には戻れないかもしれない」

「いや!俺にはやりたいこともまだまだあるんだ。諦めてたまるか」

そんな葛藤の中、数日後、行動の許可が出た私は、哀れなまでに歩行台にしがみ付き、来る日も来る日もリハビリに必死でした。

足にしがみつく、亡者の群れ

リハビリでは、毎日毎日、歩けない現実にボッコボコにブチのめされました。

ちょっと前まで無意識に出来ていたことが、全力を振り絞ってもできない現実。

腰から下に何かとてつもない重いものが付いている感覚。

まるで地面から這い出たゾンビが、足にしがみついているかのように、足が動きませんでした。

おまけに排泄機能をやられた私は、自力で排尿するための訓練も必要でした。

その訓練とは、通常の倍くらいの太さの管を尿道に挿入して、強制的に膀胱に生理食塩水を注入し、それを筋力で押し出すというものです。

そのため、いつも腰にはその管と繋いだ透明のバッグを携えていました。

普通の人なら、管を刺すだけでも激痛に耐えれないと思いますが、幸か不幸か、私は痛みや温度などの感覚を失っていたため、挿入時に何も感じませんでした。

とはいえ、思い出すだけでなんだか胸の奥がゾワゾワします(笑)

会いたいけど、見られたくない

「弱っている姿を絶対に見せたくない」そんな男性は少なくありません。

しかし、当時の私は半々でした。

「今の俺の姿を見たら、矢田ちゃんはどう思うかな。ざまぁ見ろって思うかな(笑)

エライザさんだったらどうだろう。心配してくれるかな。

考えても意味ないか。もう会うことはないんだから。」

“会いたいけど、見られたくない”

別れたばかりの矢田ちゃんならまだしも、こんな状況でもエライザさんを思いだす事に本当に自分で呆れました。

入院中、辛いことはたくさんありましたが、そのなかでも特に辛かったのは、若い女性が誰かのお見舞いに来たときです。

若い女性の後姿を見るたび、

「もしかして、矢田ちゃんが誰かから聞いて、お見舞いにきてくれたんじゃ」

「もしや、俺の友達がエライザさんに教えて、来てくれたのかな!」

とか無意識に考えちゃうのです。

二人が来ることなんて、あり得ないのに(笑)

悔しさとか情けなさとか、今後の不安や恐怖、もう色んな感情が溢れてきて、涙が止まらない事も多々ありました。

泌尿器科の医師からは、「おそらく自力で子供を授かるのは、難しいでしょうね。まぁ、今は人工授精もありますからぁ」と淡々と言われていました。

お漏らしなお兄さんは好きですか?

「キレイなおねえさんは好きですか?」

これは化粧品のCMで昔使われていた有名なキャッチコピーです。

私がそう聞かれたら、「ハイ!大好きです!」と即答します。

何なら、「出来れば足がムチムチしてたら最高です」と注文まで付けるでしょう。

では、あなたが
「お漏らしなお兄さんは、好きですか」
と聞かれたら?

「はい」と答える人は1%未満の変態くらいのものでしょう。

「…好きな人には幸せになってほしい。

当たり前のことをしてあげられない、障害者の俺よりも、健常者の彼氏を作った方が幸せになれる可能性は高いはず。

もしこれから誰かを好きになっても、本当にその人の幸せを考えたら、俺は最初から身を引くべきだ。」

私はそう考えるようになりました。

その方が相手も幸せだろうし、何より私自身もこれ以上傷つかずに済むのですから。

私は男としての最低限の自信さえ、失い始めていました。

断じて、認めんぞ!

それでも、

「こんな現状認めたくない!復活したい!」

簡単に希望は捨てられず、今の状況を否定するために、無様な姿を晒してでも私はリハビリするしかありませんでした。

幸いなことにその努力が功を奏したのか、術後一か月半ほどたつころには、たった数メートルではありますが、徐々に杖をついてでもゆっくり歩けるようになりました。

さらに、普通の人と同じように排泄機能も回復し、『超ぶっとい管』ともおさらばできました。

そして、「術後半年が回復の期待が出来る期間」という医師の言葉に望みをかけ、手術から約2か月後に退院。本当に長かったです。

しかし、依然として後遺症は数多く残り、体は不自由なままでした。

第四章:歩けないけど、前に進もう

2カ月ぶりに我が家に戻った私は、住み慣れた環境に安心感を覚えました。

私がゆっくりと杖をつきながら自分の部屋にたどり着くと、そこには2か月前で時間が止まった、懐かしい風景が広がっていました。

「あの日は激痛で横になれずに、この椅子に座ったまま気絶するように寝落ちしたっけ。」

「なんであのぬいぐるみがあんな所にあるんだ? そっか。あまりの痛みに耐えれなくて、八つ当たりで投げちゃったんだよな」

そんな事をいちいち思い返すうちに、私は過去の自分を俯瞰で見ている感覚に落ち入り、自然と今までの人生を振り返っていました。

幸せだったこと、
辛かったこと。

笑ったこと、
泣いたこと。

お世話になった病院の方々のこと、
心配してくれた友人のこと。

好きだった人たちのこと、
そして傷つけてしまった人のこと。

特に一番つらい時に傍にいてくれた家族には頭が上がりません。

今となっては、自分の体さえ満足に動かせないような散々な状況のくせに、私は矢田ちゃんの写真を眺めながら、気づけば矢田ちゃんの事を考えていました。

そうするうちに、傷つきながらも二人でいようと頑張っていた過去の私たちが、何だかとても愛おしく思えてきたのです。

言葉にするとキモい感じがしますが(笑)実際そうだったので仕方ありません。

前に進まねば。

いろんなことをして笑ったし、けんかもして仲直りして、そうして積み上げた2人の時間。

「俺も前に進まないとな…」

私は矢田ちゃんに電話をかけることにしました。やりなおすためではなく、感謝と謝罪を伝えるために。

どのみち、もうあのころ以上に俺は頑張れないと思っていましたし、実際問題、自分の事さえままならない状況でしたからね。

それならそれで矢田ちゃんのためにも、黙って彼女の人生から消えればいいのですが、ここまで読んでおわかりのように、私は女々しい男なのでしょう。

最後に自分なりにケジメをつけなければ、私自身が前に進めませんでした。

彼女と話せるのはこれが最後だと思い、言い忘れがないように伝えたいことを紙に書きました。

二度と電話をかけることもないと思い、矢田ちゃんの連絡先は電話帳から消していました。

それでも3年間、ほぼ毎日会っていた相手ですから、電話番号はイヤでも覚えています。

電話番号を打ち込むのは容易でした。

しかし、発信ボタンを押すことが、なかなかできません。

「まぁ、前に電話したときは着信拒否されてたし、出なかったらそれで終わりだ」

そう自分に何度も言い聞かせ、発信ボタンを押した途端、私はこう思いました。

「やべ!本当にかけちゃった! やっぱ切るか? いやここで切ったら意味不明だし、キモイよな、う~ん・・・」

着信拒否は解除されていて、数秒後、電話がつながりました。

私1人しかいない『しーん』とした部屋とは逆に、電話の向こうはガヤガヤしていて騒がしかったのを覚えています。

私は記憶力には自信があるのですが、最後の矢田ちゃんとの会話でしたから余計に印象に残っています。

「風邪ひかないでね」

矢「・・・もしもし?どちらさまですか?」

私「○○ですが・・・矢田ちゃんの携帯ですか?」

矢「あ、久しぶり、ちょっと待って。(彼氏に対して)友達から電話来たからちょっと外行ってくるね。・・・コツコツ(ハイヒールの音)」

私(やっぱり今は仕事柄ヒールとか履くんだな。つうかまだ付き合ってんだな)

矢「ごめんね待たせて。久しぶりだね!どうしたの?」

私「いやこっちこそ何か邪魔してごめんね。最後の頼みなんだけど、ちょっと今から一方的な話するから聞いてくれる?(笑)」

矢「何か怖いな(笑)別にいいよ!」

私「あれから俺も色々あってさ。さっきまで矢田ちゃんの事を思い返してたのね。全部俺が悪かった。本当に色々ごめん。矢田ちゃんの事を理解してたつもりだったけど、全然わかってなかったし。

不満だらけだったと思うけど、あの頃の俺はあれが精一杯だった。

結果的に別れたから俺には無理だったけど、あとは、どこにいても幸せになってほしいって思うし、傷つけといて身勝手なんだけど、いつも一緒にいてくれて3年間楽しかったよ。

本当にありがとう・・・っていう話!」

矢「・・・」

・・・ここで少しの沈黙。

私「あ、特にオチはないので・・・」

矢「・・・別れた時のメール覚えてる?」

私「なんだっけ?(本当は覚えてる)」

S「覚えてるわけないか(笑)私を一番大事にしてくれたのはあなただって話。」

私「あぁ。まあそりゃそうさ。好きだったし。」

矢「(笑)今でも一番大事にしてくれたのはあなただよ。こちらこそ今までありがとう・・・なんか恥ずかしいね(笑)」

私「そうか・・・ありがとう。」

矢「・・・最近なにしてるの?」

私「ん?別に変わりないよ(めっちゃ強がる)」

矢「そっかぁ。私の事は聞いてると思うけど・・・」

私「あぁ。まあ元気でいてくれればそれでいいよ」

矢「うん。・・・じゃあそろそろ戻るね。風邪ひかないでね。バイバイ」

私「うん。バイバイ。」

矢田ちゃんがどれだけ本心で言ってくれたかは、私にはわかりません。

しかし、例えそれが私への優しい嘘だったとしても、彼女の言葉で私が救われたのは確かです。

幸せになりたいと思えた日

矢田ちゃんとの電話を切った私には、ほんの少しの寂しさとともに、とてもすがすがしい気持ちがありました。

確かに彼女と別れてからの時間は、私にとって、どん底と言えるような日々でした。ですが、そのさまざまな体験を通して、多くの人への感謝を感じ、私は自分を受け入れ前を向けそうな気がしました。

多くの方の支えがあって、今の自分がある。

当たり前すぎて忘れがちなことに気付いた私には、こんな決意が沸き上がってきました。

「まだ完全に回復したわけじゃない。それでも杖をついてでも歩けるようになった。

俺はこれから自分の足で立って、行きたいところに行ける。状況はもっとよくなっていくはずだ。

やりたい事だってきっと出来る!

感謝する人、これから出会う人、
その人たちに俺は何ができるだろうか。

この経験は絶対に意味があるし、人生の分岐点だ。

多くの人が与えてくれた、この変わるチャンスを無駄にしないためにも、俺は、幸せになりたい!」

泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、トラブル時にはさらに災難が降りかかることもあります。

しかし逆に、前向きな気持ちで生きていると、嬉しいことや幸せな出来事が増えていくものです。

ここから私の人生は確実に変わっていきました。

第五章:そろそろ地獄から這い上がる話

手術から半年が経とうとしていたころ、徐々に近づく後遺症回復のタイムリミットに、私はとても焦っていました。

その時の私はというと、数多くのマヒも残ったまま、杖をついて数メートル歩いては休憩の繰り返し。

特に後遺症の多く残った左足は、皮膚の裏側からバーナーで焼かれるような激痛に、度々襲われていたのです。

しかし、人間とは不思議なものです。

「こんな状況うんざりだ!」と思っていた状況でさえ、毎日続くと知らぬ間に慣れてしまいます。そのうち「俺の人生はこんなものだ」と、その「うんざりする状況」が当たり前になります。

当時の私の心には、いつも2つの声が飛び交っていました。

「人生はこんなもんだ。高望みするな」
「違う!俺はこのままでは終わらない!」

どんなに考えても、この2つの声が堂々巡りするだけです。

小さくてもいいから希望が必要だった私は、「人生が変わるかもしれない」という期待を込めて、ハッピーエンドの映画をレンタルビデオショップで探していました。

そこで目に入ったのは、引き寄せの法則で良くも悪くも有名な「The Secret」というDVD。

「自己啓発」というジャンルがあることさえ、当時の私は知りませんでした。

自己啓発業界の表と裏を知った今では、シークレットは別にお勧めしませんが、パッケージに書かれた希望に溢れる文言は、私にDVDをレジまで持っていかせるのに、十分過ぎる威力がありました。

ナンダコレ(・∀・)

当時の私は引き寄せの法則も知らなければ、DVDがどんな内容なのかさえ知りません。

家に帰りそのDVDを見たときの第一印象は、

「え、これなんかやばくないか?」

ヤバいというのは“悪い意味”でです。

私は宗教っぽさを感じてしまい、「とうとう俺もここまで追い詰められたか」とさえ感じました。

というのも、私には、学生時代の先輩が新興宗教にハマり、しつこく勧誘された経験があるので、そういうものは、マジで生理的にムリだったんです。

とても面倒見のよかった先輩を、たった数年で変えてしまった宗教に、私は恐怖さえ感じていたのです。

私は見る意欲を失い、DVDを流したまま漫画を読み始めました。

しかし、時折耳に入ってくるDVDの内容に、妙に興味を惹かれるのです。

というのも、私がここまでにお伝えした、

・小6の際に総額80万以上のドラムセットを手に入れた(プロローグ)

・エライザさんに告白された(第一章)

をはじめとした、色んな過去の成功体験と、「The Secret」で引き寄せの法則として話されている内容が、ほとんど同じだったからです。

その時私は「めっちゃ怪しいし胡散臭いけど、何かが叶う時に俺が感じてたことや、何かが叶う時の俺の過ごし方と同じだ!もしかしてこの法則を使えば、俺の体も良くなるかもしれない」と感じたんです。

わずかな希望を見つけた私は、再現性を見つけるべく、関連する本を片っ端から読み漁り、法則を試してみることにしました。

なまじっか「引き寄せ経験の自覚」があったので、「この人本当にわかっているのか?流行に乗っかって書いただけじゃね?」という本も中にはありましたが…(笑)

確かにコーヒー、駐車場の空き、臨時収入など本に書かれているような小さなものは引き寄せられます。

ですが、私が一番欲しかったのは、“後遺症を克服した自力で歩ける体”です。

その時、手術から半年のタイムリミットはすでに過ぎていました。

しかし、私に焦りはありませんでした。

「最後のパズルの1ピースがハマれば、何かが起きる」と根拠のない確信があったからです。

私がメンターと出会ったのは、そんな時でした。

メンターが1体、あらわれた!

メンターとは、師匠のような存在のことです。

私とメンターとの出会いは、私が彼のコーチングを受けたことがきっかけでした。

彼自身も人生のどん底から這い上がり、マーケターとして会社を経営しながら、コーチとしても活動している方でした。

私はそんな彼の生き方はもちろん、どん底から這い上がった生きざまに、強く憧れを抱いたのです。

メンターのサポートの傍ら、私は心の仕組みと人生の関係について、深く学びました。「引き寄せの法則の原理」や「潜在意識の使い方」などの理解を深めたのもこの頃です。

これらを脳科学や心理学といった、人体の機能の知識とともに、

「なぜそれで願望達成が可能なのか?」

という原理まで、わかりやすく教えていただきました。

それ以来、私はメンターに教わったことを習慣にするよう努めました。

そして手術から約10カ月後。

私は杖を手放しました。

信じられないことではありますが、回復が見込めるとされる半年というタイムリミットを過ぎていたにもかかわらず、杖なしで自力で、しかも普通に歩けるようになったのです。

たまにプライベートで、自己紹介がてら、

「実は僕、数年前までこんな状況だったんですよ」

こんな話をすると、本当に驚かれます。それくらい、今の歩き方は自然になったということです。

あなたは、これをウソみたいに思うかもしれません。

ですが、私はこのプロフィールの冒頭でこう言いました。

「ウソをつくのは、これが最後です」と。

信じるかどうかは、もちろんあなたの自由です。

更なる奇跡(言いにくい話)

そして、それから1年と少したった頃、もう一つの大きな変化が起きました。

このサイトの読者は女性がほとんどなので、ちょっと言いにくいんですが・・・

下半身の“ある部分”の神経の後遺症が、ある日の明け方4時ごろ、急に治ったのです。
(ぼかした理由は…わかるね?)

私はそれまで、脊髄損傷の研究機関が発表しているデータ――

「術後半年が過ぎた場合の後遺症回復率は、たった数%」

という統計を見ては落ち込んでいました。

また、泌尿器科の医師からも、“自力で子どもを作るのは難しい”とはっきり告げられていました。

そんな中での、突然の出来事。これは、私にとって本当に衝撃的な出来事でした。

そして、改めて強く思ったのです。

「人生ってどこで何が起こるか、本当にわからないもんだな」
「人間の可能性は、無限大だ」と。

もう一度、あの人に会いたい

「人生をやり直したい」という思いと現実とのギャップを、様々な奇跡を通して乗り越え始めた私は、人生が一気に開けた気がしました。

私は後遺症の回復を機に、こんな問いに向き合い始めました。

・自分が本当に欲しいものは、なんなのか?

・人生で、何を成し遂げたいのか?

・自分はこれから、どんな人生を歩みたいのか?

その答えを見つけるためには、過去にケリをつける必要がありました。

その「過去」とは、別れてから10年以上も経つ、エライザさんのことです。

正直に言うと、別れてからエライザさんのことが頭によぎらない日はありませんでした。

でも、私が知っているのは「10年以上前の彼女」です。当時、一緒に笑って、一緒に泣いた、あの頃の彼女。

しかし、10年という歳月は、人が変わるには十分すぎるほどの時間です。

ましてや、女性にとっての20代というのは、男性以上に価値観が大きく変わり、自分の人生やキャリアの方向性が定まっていく時期。

子供が欲しいかどうかや、そもそも結婚したいのかどうか。

するとしたら、どんな人と一緒にいたいのか。

仕事はどうするのか。

それらの答えがどういったものであろうと、自分の人生と向き合い日々を大事に20代を過ごす人と、ただ若さにかまけて、周囲の目や言い寄ってくる男に流される人とでは、30代以降、圧倒的に差が付くものです。

社会に出ていろんな人間と出会い、様々な経験をすることで、ぼんやりとしていた自分の理想と人生の方向性が、徐々に定まっていく時期。

私だって、良くも悪くも変わりました。

そして、それはきっとエライザさんも同じはずです。

八方ふさがり

彼女が今どこに住んでいるのか。
彼氏がいるのかどうか――
いや、それ以前に、結婚しているのかどうかさえ分からない。

私の友人に、エライザさんの連絡先を知っている人は誰一人いませんでした。

正直、八方ふさがり。

それでも私は、「あれだけの奇跡(後遺症の回復)が起きたのだから、今度もうまくいくんじゃないか?」そんな期待を抱いていました。

そこで私は、メンターに相談することにしたんです。

彼はセルフコーチングのプログラムだけでなく、恋愛に特化したサービスも提供していたからです。

その時、私はいくつかのアドバイスをもらいました。

テクニック的な話も、聞けば教えてくれるのですが、彼が伝えてくれたことの多くは、もっと本質的で深い内容。

それは、相手をどうにかするためのテクニックよりも、「自分の在り方をどう整えるか」という、今の私の人生の軸にもつながっている大事な視点でした。

復縁テクニックよりも大事なこと

彼は自身の恋愛の教材やプログラム、復縁のコンサルを売ることもできたはずです。

というのも、彼自身も失恋で深く傷ついた過去があり、「復縁したい」と自分のメンターに相談をしたことから、人生を変えていった人だからです。

ですが、メンターからは、こんなアドバイスももらいました。

「もしテクニックも勉強したいなら、調べれば探偵さんやカウンセラーが復縁マニュアルというものを販売してるはずだから、信用できるものを選んで学ぶのも一つの方法だよ。」

当時はわかりませんでしたが、今思えば、その提案自体が「テクニックよりも大事なものがある」という一貫した信念の顕れのようにも感じます。

ですが、その時の私はただただ驚いていました。

というのも、今では、復縁に関する情報はタダでいくらでも学べます。

むしろ情報が溢れすぎて「で、結局、私の場合はどうしたらいいんだろう」と混乱してしまうほどではないでしょうか。

しかし、当時は復縁に関する情報は非常に少なかったんです。

そのため、私はメンターの本心や心遣いに気付くどころか

「へー!復縁にも、そんな商品があるのかぁ!」

それが正直な感想だったんです(笑)

とはいえ、相手の状況は何もわかりません。連絡先さえ知らない状態で、私ができることは限られていました。

そこで私は、復縁に関する知識や恋愛心理学、そして自分自身を整えるセルフコーチング、この3つを組み合わせながら、「来るべき日」に備えることにしたのです。

SNSやらせたい幼馴染 vs やりたくないおモチ

後遺症もかなり落ち着き、再び働き始めていたころ。

かつてどん底だった時期に距離を置いていた、友人たちとの交流も、少しずつ再開していました。

そんな中、小学生時代からの友人から、結婚式の案内状が届きました。

そして、結婚式が終わり、数日が経った頃。

式に一緒に参加していた幼馴染(新郎とは別の友達)が、始めたばかりのFacebookに、式の写真をアップしていました。

結婚式の写真ですから、普通は新郎新婦が一番目立つようにアップするものです。ですが、
なぜかその幼馴染の投稿には、“満面の笑みでピースしている私”の写真がメインで表示されていたのです(たまたまなのか、あえてそうしてくれたのかはわかりません)

実はこの幼馴染、以前から何度もこう言っていました。

「お前もFacebookやれって!良いことあるから!」

でも私は勧めを何度もはぐらかしていました。

というのも、私は元が陰キャなので(笑)SNSのキラキラ感や表面的な感じが、どうにも苦手なんです。

私のような日陰の存在は(笑)、世界の隅っこで、ブログのような我が城で、自分の世界観を作ってニヤニヤしてる方が好きです(なので、未だにXやインスタすらインストールしてません。TikTok?あんなん見てたらバカになるわ。)

そんな私に、ある日彼が突然こう言ってきたのです。

「ちょっと大事な話があるから、夜に俺んち来て!」

仕事を終えた私は、言われるがまま幼馴染の家に向かいました。

『大事な話がある』⇒マジで大事な話だった件

「おつかれ!」という挨拶も早々に、幼馴染は、

友「ちょっとこれ見てみ(*´ω`)」

そう言って、結婚式の写真を載せたFacebookの画面を私に得意げに見せてきました。

私「あー見たよ!なんで、俺の写真がメインなのよ(笑)恥ずかしいから変えて!」

友「いや、それよりこのコメント見てみ!」

私「こ、これは!Σ(・□・;)」

そこには――
『○○だ〜(≧▽≦)』
と、私の名前を呼ぶエライザさんのコメントが…!

友「だからFacebookやれって言っただろ(^^)」

幼馴染があれだけSNSを勧めていた理由が、ようやく腑に落ちました。

「自分磨きしといてよかった〜」

正直、ホッとしたのを覚えています。だって、もし自分が以前と何も変わっていなかったら、笑顔でピースして写真に写るどころじゃなかったから(笑)

でも、このような流れで、本当に、再びエライザさんとつながることになるとは…人生とは何が起こるかわからないものです。

あれ?もしかして神様いた?

この時のように、まさかの形で10年以上前に別れた相手とつながるなんて、全く予想もしていませんでした。

しかもその前に、

・後遺症からの奇跡的な回復があり
・心が整って「また向き合いたい」と思えたタイミングで
・SNSすらやっていなかった自分に対して、なぜかやたら推してくる幼馴染がいて
・その友人がなぜか満面の笑みでピースした私の写真を目立つようにアップしていて
・そして、たまたまエライザさんがそれを見つけてコメントしてきた

これらの出来事は、狙って出来ることでもありません。

まるで、全てが大きな流れに導かれていくかのようで、人智を超えた何かがお膳立てしてくれたかのようでした。

「もしや、神様、あなたなのですか?(゚∀゚)」

そう感じてしまうほど、これまで私が人生で経験してきた願望達成のプロセスには、説明しきれない力が働いていたように感じます。

もちろん、当の本人である私でさえ「よくわかんないけど、そうなっちゃった」という感じなのですから、この経験を「奇跡」と捉えるか、あるいは「単なる偶然」と捉えるか、それは、完全にあなたの自由です。

これは偶然か、必然か~スピリチュアルとの向き合い方~

ちなみに、私は基本的に「神」とか「宇宙の法則」みたいな話には、正直ちんぷんかんぷんです。

もちろん、私もメンターからは、そういった「宇宙の法則」の話も聞いています。こちらが聞かない限りは話さない人ですが、ひとたび話し始めると、嬉々として止まらなくなるタイプです(笑)

だから、私も理屈としては、何時間でも話すことはできます。

でも、本音を言うのであれば「確かに、そういう考えもあるのかもしれない。」これが正直なところなんですね。

というのは、引き寄せの法則や宇宙の法則などが、今のところ科学で明確に証明されていないからです。

「いやいや、量子力学的な説明がされてますよ」という方もいるかもしれませんが、それでもまだ疑似科学(科学的根拠があるかのように誤解してしまう主張)の域を出ません。

量子力学はすでに一般人が直感的に理解できないほど、高いレベルにあります。それでも宇宙の仕組みを解き明かせていないどころか、「新たな発見をすれば、更なる疑問が生まれる」というのが宇宙の研究なんです。

その状態でスピリチュアルや自己啓発と結び付けて、「これが宇宙の法則だ」というのは危険だと私は思います。

ただ、一方で、こうも思うんです。

「科学で説明できない=存在しない、嘘だ」と切り捨てるのも、ちょっと了見が狭いよね、と。

途中でちょっと書きましたが、私自身、お化けやUFOを見たり、家族レベルで不思議な体験をしているんですね。(これマジね)

そういった実体験(と脳が認識しているだけかもしれませんが)がある以上、エビデンスで語れることだけが正義とも思えないのです。

むしろ、人間が理解できていないことの方が圧倒的に多くて当たり前。そこにこそ、科学のロマンと伸びしろがあるわけですし、もっと言えば、全てを人間が理解できるというのはおこがましい、とも思うのです。

どっちつかずの保険をかけたような意見に見えるかもしれませんが、現実としてそういった状況である以上、両方の視点からフラットに見ることが大事なんです。

だから私は、こう考えています。

いつか「引き寄せの法則」も、今のような“疑似科学”ではなく、完璧なロジックとして証明される日が来るかもしれない。

でも、それは現実的には早くても、数百年後になるんじゃないでしょうか…知らんけど(笑)

だからこそ、私たちが今を生きる上で大切なのは――「宇宙の法則」を妄信することでもなく、逆に「非科学的だ」と門前払いすることでもなく、その法則が伝えようとしている“本質のメッセージや考え方”を、いかに人生に活かしていくか?

そんな、実用的な向き合い方なんじゃないかと思うんです。

おっと!なんかこのままだとあなたを啓発してしまいそうなので、本編に戻るお!

謎の枝豆選別機

それから、幼馴染のススメを素直に聞き入れた私は、ようやくFacebookのアカウントを作りました。

すると、エライザさんから友達申請がきたんです。そして、10数年ぶりにエライザさんと連絡を取り合うようになりました。

近況によれば、エライザさんが住んでいるのは、私が住んでいる場所から新幹線や車を使って、ざっと片道6時間の距離。

なかなかすぐに会えるような距離ではありません。

私はそれまでに学んでいた復縁の知識を活かし、相手の反応を見ながら徐々に連絡頻度を増やしていきました。

そして数か月後、2人で会うことになりました。

10年ぶりに肉眼で見たエライザさんは、正直――かなりかわいかったです。

「キョエ~!やっぱり可愛いぜ!」と心臓がバクバクでした。

私はどんな顔をしていいのかわからなくて、10年前のように顔が赤くなっていないか心配になりました。

待ち合わせ場所から、二人並んで歩いて、小さな居酒屋に向かいます。

テーブルをはさんで向かい合った私たちの間には、10年前と変わらない穏やかな時間が流れていました。

つまみの枝豆を、謎の基準で夢中に選別している彼女の姿を見て、「こういうところは変わってないな」と、私は笑ってしまいました。

「どれ食べても味は一緒だから(笑)」という私の言葉に、

「なんか楽しいね!」と彼女は、少し照れくさそうに笑いました。

そんな楽しい時間の中でも、言葉の端々から伝わってくる――

10年間、どのように生きてきたのか。
どんな恋愛をしてきたのか。
どんな価値観で生きてきたのか。

それらを知るたびに、改めて10年という歳月の長さを思い知りました。

もちろん、目の前にいるのは10年前の元カノと同一人物です。

けれど、私が知っている人でもあり、私が知らない人でもある。

10年というのは、そんな感覚にさせる、膨大すぎる時間なんだと思います。

私は不思議な感覚に陥りながら、10年ぶりにあった“今の彼女”を受け入れていました。

そして、これまで心のどこかに残っていた忘れられなかった想いが、少しずつ、別の感情へと昇華していくのを感じたのです。

許しと成仏と卒業式

それから自然と、付き合っていた頃の思い出話に花が咲きました。

「いや~今考えてみると、俺って本当にありえないよね(笑)」

「ほんとだよ(笑)でも付き合って良かったって思うし、そうじゃなきゃ、こうして会わないよ」

ある意味、“許し”とも思えるその言葉を聞いた瞬間、「長かったけど、もうエライザさんを追いかけなくても大丈夫だな」と、自然に思えました。

どうでもよくなったわけではありません。

ただ、一目会って、過去にきちんと区切りをつけられたことで、気持ちが吹っ切れたのです。

ずっと抱えていた、燃え滓のような執着心が消えたことで――

10年前の、どうしようもないほどガキで、わがままで、自分勝手で、それでも彼女のことが大好きだった、そんなあの頃の自分が成仏していくような感覚になりました。

「バカだったし、彼女には本当に申し訳ないことしたけど、でもあの頃のお前は、あれが精いっぱいだったんだよな。そして、その精一杯はちゃんと、エライザさんにも伝わってたんだね。もう、そろそろ休んでもいいんじゃない?」

そう誰かに言われたような気がしました。(まあ私しかいないんですが笑)

まるで卒業式のあとのような、前向きさの中に、少しだけ寂しさが同居している…そんな感じです。

さすがにこの時から数年経っているので、今では連絡を取ることもなくなりましたが、この時に再会できたことは、過去に区切りをつけるために必要な時間で、エライザさんとの関係も、あの頃の自分も、やっと静かに手放すことができました。

それが、本当の意味での“卒業”だったのかもしれません。

長く遠回りをしたけれど、どの失恋も、歩けなくなったことも、夢を失ったこともすべての経験が今の私を作ってくれたんですね。

あのときは地獄にしか思えなくて、正直何度も死にたいと思った。けど、今なら言えます。あれも全部、私にとってはギフトだったと。

ええ、ハイ( ̄▽ ̄)

あの日を境に、私は“あの頃の自分”を静かに見送ることができました。

でも、それは「終わり」ではありません。むしろ、「ここからが本当の始まり」だったのです。

第6章:信念

ひょんなことからエライザさんと再会し、私はようやく、10年以上引きずってきた想いに決着をつけることができました。

それは、人生の一区切りとも言える出来事。
私はそこで、これからの人生をどう生きていくか、改めて真剣に考えてみました。

「自分はこれから、どんな人生を歩んでいきたいのか。

ずっと、苦難に振り回されてばかりの人生だったから、これからはもう少し、自分の足で歩いていきたい。

心から”幸せだ”と思える人生を、自分の手で選び取っていきたい。」

この数年、本当にさまざまな出来事がありました。

決して楽な道ではなかったけれど、全ての出来事が私を人として大きく成長させてくれました。

そしたら、気づけば自然と、友人や後輩から相談される機会が増えていったんです。

「自分がこれまで学んできたことは、もしかすると誰かの役に立てるかもしれない。」

そんな風に思うようになりました。

でも、本格的にそれを“自分の道”として選ぼうと決めたのは――

“自分の夢”と向き合った、ある日のことでした。

ラスボスの正体

20歳になったあの日。

私は――
・恋人
・健康
・プロドラマーになる夢

この3つを一度に失いました。

そして、人生を立て直していく中で、
・過去の恋愛に対する執着の手放し
・後遺症の回復による健康の改善
この2つは既に完了済みです。

でも、最後にどうしても残ったのが、「夢への執着」だったんですね。

私は小学6年生の頃から、プロのドラマーになることを夢見て、青春のほぼすべてを捧げてきました。

でも、もはや満足に叩けない身体。
一方で、同年代のドラマーたちは次々にプロとして活躍していく。

焦り、劣等感、不安。

それでも、支えてくれた人たちの優しさや思いやりに報いるためにも、私は何としてでも幸せになると誓ったのです。

そんな中で私は、自分にこう問いかけました。

「そもそも、なぜ自分はプロのドラマーになりたかったんだろう?」と。

忘れていた、ほんとうの願い

その問いの先にあったのは、

「自分も、かつて救われたように、今度は誰かの力になりたい」

そんな、たった一つの純粋な願いでした。

最初は、”好きな曲や難しい曲が叩けるようになる喜び”それだけで十分、幸せだったんです。

その喜びが、いつも泣いてばかりだった私に自信をくれて、人生を明るくしてくれました。

だからこそ、
「今度は自分が、誰かに希望を届けられたら」
そんな想いが自然と芽生えた。

そこには、他人からの評価なんて、一切関係なかったんです。

でも、夢中になって上達するうちに、やがて周囲やプロのミュージシャンからも、評価されるようになっていった。

そして気づけば、

「もっと認められたい」
「他者に評価されたい」

という気持ちに、いつの間にかすり替わってしまった。

私は、希望をくれた大好きなドラムですら、「誰かに自分を認めさせるための道具(手段)」にしてしまっていたんですね。

こうして目的と手段が入れ替わるのは、多くの人が気づかぬうちに陥る“人生の落とし穴”かもしれません。

でも、私が本当にやりたかったことは――

かつての自分が救われたように、
自分も誰かを勇気づけられたり、
明るい気持ちになってもらえたり、
そんな小さなきっかけになることだったはず!

そう気づいたとき、心にかかっていた分厚い雲が、スッと晴れていくような感覚がありました。

願いは、まだ終わってない

そして、ふとこう思ったんです。

「あれ? 別にプロドラマーじゃなくても、その願いって叶えられるんじゃない?」

「むしろ、音楽以外にも手段ってたくさんあるんじゃない?」

それまでの私は、「その願いを叶えるには、ドラムのルートしかない」と信じて疑っていませんでした。

でも実は、それこそが――私を一番苦しめていた“思い込み”だったんです。

「この方法しかない」と思い込んでしまうと、それがうまくいくかどうかに、人生のすべてを賭けることになります。

すると、不安や恐れに支配されてしまう。

ブレずに目的に照準を合わせ続けるのは正しい。でも、目的ではなく手段に執着した途端、それは呪いとなるのです。

「今まで見えてなかっただけで、願いを叶える方法なんて、一つじゃなかったんだ!」

目的と手段がすり替わり、ずっと手段に縛られていたことに気づいた瞬間、心の重荷が一気に消えていったのを、今でもよく覚えています。

執着を手放すということ

これは、恋愛や復縁にも同じことが言えます。

「この人じゃなきゃダメ」
「復縁できなきゃ終わり」

そう思い詰めてしまうと、すべてが“背水の陣”になってしまう。

しまいには

「○○じゃなきゃ幸せになれない」
「○○になれなきゃ、自分に価値はない」
「○○が叶えられなきゃ、生きてる意味がない」

このような強迫観念に駆られた、苦しい人生が待っています。

でも、ちょっとだけ立ち止まって考えてみてください。

それって、本当にあなたが願っていたことなんでしょうか?

もしかすると――「手段」に執着してしまっていないでしょうか?

本当は、もっとシンプルで、あたたかくて、自由な願いだったはずです。

あなたが自分を整えて、視野を広げていけば――復縁も、復縁以外の選択も、同じように自分で選べる状態になる。

そのときにはもう、「私はどう転んでも幸せになれる!」と、心から思えるようになっているはずです。

そして実は――そんな“余裕のある在り方”こそが、復縁がいちばんうまくいきやすい状態なんです。

復縁を“全力で目指す”ということ

だから私は、こう考えています。

復縁を本気で目指すということ、
そして、そのための“正しい努力”とは――

それは、誰かに執着して、がむしゃらに突き進むことではありません。

「今の自分も、十分に幸せだなぁ(´▽`)」

「でも、もっと幸せになれる道は、他にもきっとたくさんあるなぁ(゚∀゚)」

そんなふうに、“満たされているのに、さらに未来が楽しみ”と思えるような――軽やかで希望にあふれた心の在り方。

この心の状態を本気で目指すことこそが、本当の意味で“復縁を全力で目指す”ということなのだと思います。

なぜなら、不安や執着に振り回されている状態では、自分でも気づかないうちに、相手に“重たさ”や“焦り”のようなものが伝わってしまうからです。

一方で、心の在り方が整っていると――
相手も、あなたと一緒にいる時間を「居心地がいい」「安心できる」と感じやすくなります。

だからこそ、そうした“軽やかで自由な心の状態”が、結果的に復縁もうまくいきやすい“土台”になっていくのです。

そしてそのうえで、あなた自身がどんな道を選ぶかは、自由です。

「やっぱり復縁したい」と思うのもいいし、「こっちの人生のほうが自分らしい」と感じたら、その道を選べばいい。

もちろん、自分と向き合い、心を整えた結果、復縁を選んで卒業される方もいますし、その後、ご結婚の報告をもらうことだってあります。

一方で、「復縁しようと思えばできたのに、あえて選ばなかった」という方も少なくありません。

でも、そうした方々の多くが、最後にはこう言って卒業されていきます。

「もう、あの人がいなくても大丈夫です」
「今の自分が、すごく好きです」

私はそのたびに思うんです。

ああ、やっぱり一番大切なのは“復縁できたかどうか”じゃなくて、その人自身が“幸せだ”と思えるかどうかなんだなと。

そもそも、復縁も“幸せになる”という目的を叶えるための、ひとつの手段にすぎません。

だから私は、クライアントがどんな道を選んだとしても、「幸せだ」と感じながら進んでいる姿を見られることが、何より嬉しいのです。

本気で自分と向き合った方はみな、人生を前向きに「選べるように」なっていきます。

だからこそ、選ぶ道がそれぞれ違っていても、自分の意思で選んだ道を、幸せに向かって歩き出すその姿を見送るたび、私は心から、誇らしい気持ちになります。

よかったら、実際にサポートを受けた方の声も読んでみてください。

きっと、「自分にもできるかも」と思えるヒントが見つかるはずです。

▶︎【変化した方々の声はこちら】
実際にサポートを受けた方の「ビフォーアフター」をまとめています

おモチとして生きる理由

2016年頃のこと。まだ私がどんなビジネスをするか、悩んでいたころのことです。

その時にメンターに言われた言葉で、今も強く印象に残っていることがあります。

それは――「今この瞬間も、泣きながら検索している人がいるんだよ」という言葉。

私はハッとしました。私自身、どん底から抜け出す方法を知りたくて、泣きながら検索した経験があるからです。

私の場合は復縁というよりも、後遺症や今後の人生に絶望したときですが、誰にも言えず、声を殺して泣きながら、必死に希望を探していた夜がありました。

今回は、そんな時期のお話をご覧いただきましたが、おそらくこんなに長くて、しかも、こんなにかっこ悪い姿を晒した自己紹介は、なかなかお目にかかれないのではないでしょうか(笑)

私自身、公開するのを未だに躊躇うほど、恥ずかしい過去のオンパレードです。

恋愛に限らず、人生がいつも順風満帆で行くのなら、それに越したことはありません。

しかし、生きている以上、それはあり得ないことだと思います。

もしも仮に、別の人生でやり直せるとして、順風満帆な人生を選ぶかと言われたら…

正直、「どんなもんか覗いてみたいねぇ」という興味はあるものの、きっと私は性懲りもなく、この人生を選ぶのでしょう。

たしかに、ここまで自身の人生を綴ってみて、決して器用ではありませんし、遠回りしてるなぁと感じます。

それでも私には、その回り道でしか見えない、いろんな景色がありましたし、全ての出来事に感謝しています。

そして、この人生でなければ、
「かつての自分がそうしてもらったように、今度は自分が誰かの希望のきっかけになりたい」
という願いを叶えることもできなかったでしょう。

(0章の伏線、ワンピース並みに見事回収しますた!)

そして、この仕事を通して出会った方の、希望と誇りに満ちた背中を見送ることもできなかったでしょう。

他の誰が、私の人生をどう評価しようと知ったこっちゃありません。

死にたくなるくらい辛い時期もあったけれど、それを帳消しにできるくらい、私は今の人生が好きです。

だから、私はあなたにこう伝えたい。

「幸せになることを、諦めないでほしい」と。

あなたの可能性は、まだ終わっていない。
今からでも、ここからでも、幸せな人生を取り戻していける。

よいか?おぬしも諦めるでないぞ!

ということで、まじめに話しすぎて、ボケるのをすっかり忘れていました。

え、えっと・・・う、う〇ち!
う〇ち!う〇ちう〇ち!

ということで、小学生でも笑わない低レベルなボケをぶちかましたったところで、私の自己紹介を終わります。

あなたが「幸せになる」という目的を果たせること、心から応援しています。

読んでくださって、
ありがとうございました^^

2025年 吉日
ふくえん堂|ライフコーチ おモチより

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